毎日のように「社会の制御装置」に対する攻撃 が続いていて、なんだこのやろうと思う気持ちが止まりません。
2日には野党が与党の政策に対し疑問を持つことにそのものに対し嘲笑った岡本純子の発言。3日は行政の情報公開請求に対して制限をかけるとした東京都の発表。
どっちも共通して言えるのは「今の権力者・多数者に抵抗することを許さない」。岡本発言は野党に対しての異議申し立て自体をせせら笑い、権力者への異議申し立てをしづらくする空気をつくる呪いの言葉。情報公開請求の制限は住民による 施政者・行政監視の手段を奪うものであることに間違いありません。
いつも不思議に思うのですがこういうことをやられても「自分は権力者側にいる」と勘違いして、その位置にいない人に対して随分なことを言う人も多く。別に非権力者が嫌いなら嫌いでいいのですか、「チェックする」をないがしろにし、沈黙させる行為が何を生んだのか。「自分の側」だけが社会にいるわけじゃない。最低そこを踏まえてもらわないと、と思わされます。
「批判する行為を否定する」風潮。私にはくめないことで。「異論の出る背景」は学ぶ必要はあるのでしょうが、むやみやたらに迎合するのは「違うだろ」と考えます。おつきあいいただきありがとうございました。