つなげ“希”動力-伊東勉のストラグル日記。

17年9月移籍、社会活動中心の記事を記していきます。

総選挙と反動右翼勢力による「言葉の書き換え」。

記述日:2月10日

1️⃣ 2026年の総選挙において、目に見えて明らかになった出来事は多くありましたが、その中であえて「言葉の書き換え」―正確に言えば「概念のすり替え」と呼ぶべき事態について、少し書いてみます。どうぞお付き合いください。

2️⃣ 特に昨年の参院選後から、リベラルや人権主義思想に対して、逃げ道を塞いで殴りつけるような攻撃が加えられています。これまでの左派が積み上げてきた言説を全否定するような動きの実態についてお話しします。

① 自民党改憲草案による「憲法第97条」の削除

 現行の日本国憲法第97条は、基本的人権が「『人類の多年にわたる自由獲得の努力の成果』であり侵すことのできない永久の権利である」ことを示した、最高法規としての役割を示す条文です。11条にも基本的人権は書かれていますが、97条はその存在をより強固に裏付けるもの。

 ところが、自民党改憲草案(2012年発表)では、この97条が削除されています。「11条があれば十分であり整理しただけだ」との説明や、中には「GHQ幹部のお気に入り一文だから保持したのだ」といった乱暴な意見も散見されます。しかし、この97条を外すことは、11条を単なる飾りに変えてしまう危険性を孕んでいます。

② 憲法第36条「拷問の絶対禁止」からの「絶対」削除

 戦前・戦中の大日本帝国は、体制に逆らう者を拷問で徹底的に痛めつけました。判明しているだけでも約1500人以上が命を落としたという反省から、現行憲法は「公務員による拷問及び残虐な刑罰は、絶対にこれを禁止する」という条文を作りました。

 しかし、自民党改憲案ではここから「絶対」の文字が削られています。「禁止は禁止なのだから絶対がなくても同じだ」と言いますが、これまで権力を縛り続けてきた言葉をわざわざ削る意図は何なのか。その先には、拷問を「利用」しようとする権力者側の思惑が透けて見えます。

③ 憲法が縛る対象のすり替え

 本来、憲法とは「法律によって市民を縛る権力者を縛る」ためのものです。ところが改憲勢力は、この矛先を国民に向けようとしています。

 憲法遵守義務の対象を権力側ではなく国民側にすり替え、市民が法律と憲法の二重に縛られるような構造です。別に「憲法は日本の国のあり方を示すものだ」とも言いますが、どっちにしろ「ふざけるな」と思わずにはいられません。

④ 治安維持法小林多喜二の「再解釈」の中身を反動的に変える暴挙

 さらに恐ろしいのは、治安維持法による犠牲、特に小林多喜二の死すら「なかったこと」にしようとする動きです。当初は共産主義を取り締まる目的だった治安維持法が、最終的には戦争に反対するあらゆる人々を縛った歴史は明白です。 しかし最近では「多喜二を死なせた警察権力は悪くない。多喜二側に問題があった」と主張する記述まで見かけます。

 拷問を行った特高警察の行為を擁護、あるいは都合悪いことは無視する。一方で、遺族や弁護団が当時「告訴しなかった」ことを捉えて、警察の正当性を主張する。

 多喜二の母親は文字を書くのもやっとの方だったといいます。特高警察が猛威を振るい、葬儀すら妨害される時代に、今と同じような法的対応ができるわけがありません。こうした背景を無視した難詰はあまりに酷いものです。

3️⃣ 冷静さを欠いた「戦争への傾斜」

 こうした一連の動きは、日本を大日本帝国時代に戻したい/あるいは特定の攻撃的な権力構造を作りたいのか。昨今のウクライナ侵攻や、トランプによる抑圧的な対外政策などの情勢に煽られ「理想は棄てて戦争に備えろ」「9条は古い、敵がいるんだ」という短絡的な考えが響き渡っているように感じます。

 「危ないから、戦争による解決も辞さない」という理屈で9条を蔑ろにし、その結果として国内の生活が困窮しても「戦争なのだから甘んじて受けろ」というのはあまりに逆上せていないか?

 それでも、こうした勢力に力を持たせたのは事実です。私は淡々と自分の意思を社会に置いていく(=発信し続ける)ことを基本にするしかありませんが、それ以上の向き合い方を皆さんと共に考えていければと思います。