記述日:2月9日
1️⃣ 気がつけば私も50歳になり、自分より下の年代の人が多くいる状態となりました。当然、世代間のギャップも発生するわけで、それにどう向き合うか考えさせられることもありますが、どうしても譲れないと思う部分もあります。
特にここ数回の選挙戦、とりわけ今回の選挙で明らかになったのは、「批判=打撃(攻撃)」と捉える思考回路。「批判をする」という行為そのものがマイナスに作用してしまう事態が生じています。正直、これはいったい何なのだろうと感じます。
私自身、昔気質の体育会系に身を置いていたこともありますが、それを抜きにしても必要な場面で「叱る」ことは教育上必要だと考えている人間です。代表的な教育論として、元MLB選手の菊池雄星選手のお父様がお話しされていたことが心に残っています。
「息子がやる事に関してはほとんど見守っていたが、命に関わることに対しては厳しく叱りつけた」
という趣旨のお話でした。私自身もこのスタンスです。私自身の性格は短気な方ですが、怒りに任せて物事を進めることはしないよう律しています。しかし、昨今の「批判=悪」とする風潮には「ちょっと待てよ」と思うのです。批判そのものを拒絶する空気は、少し度が過ぎているのではないでしょうか。
これは現政権の支持者に限らず、リベラルや人権主義の立場を取る人たちの中にも、批判に対してマイナスイメージを抱く人が増えています。「批判を前面に出しすぎるな」という戦略なら理解できますが、「批判が全くない」というのは違うはず。一方で野党に対しては与党側やアンチリベラルの立場から激しい批判が浴びせられているのも事実ではありますが、ここまでの記述を認識いただければと願います。
2️⃣ もう一つ、この選挙で顕著だったのが、ショート動画による刷り込みの影響です。自分もしていてからなぜショート動画の話をするかというと、これまでのリアル社会における街頭宣伝やビラ配布、電話かけといった有権者への情報伝達手段が、今や「動画サイトでいかに短時間で発信するか」という形に様変わりしているからです。
この背景には、多くの人が「文章を読む余力」を失っていることがあるのかもしれません。私のブログやFacebookでは、2020年代に入ってからも原稿用紙1~2枚分を目安に書いてきましたが、読者から「原稿用紙1枚でも長すぎる」と言われた時は驚きました。さらに最近では「(X・旧Twitterの)140文字でも長い」と言われ、さすがに冗談だろうと思わざるを得ませんでした。SNS動画も「長くても15秒、大体6秒から10秒で決着がつくものを」と提案されます。
残念ながら私の考えが追いつかず、今回の政治戦で作った10本の動画は、どれも1分半ほどの「ミドル動画」になりました。ショート動画の制作も試みましたが、構成を上手く作れず断念しました。
3️⃣ 最近はCanva(キャンバ)などのデザインソフトが発達し、私の周りでも月額契約をして活用している知人が増えています。しかしその流れの中で「置き去りにされているもの」はないでしょうか。便利になっても、アナログな技術でしか情報を得られない人もいますし、作る側も全員が便利な機材を使いこなせるわけではありません。
政治には、非多数者へのな配慮」が必要な場面があります。誰もがスマホを自在に操れるわけではないという視点は、投票権の保証などにおいても不可欠。個人の仕事や趣味であれば、自分の能力に合わせて便利なものを使えばよいでしょう。
しかし、政治は社会に存在するすべての人に関わる場所です。便利さにかまけて「ついていけない人を叩く」様子も見かけますが、その様な切り捨ては「棄てたゴミに足をとられる」事態も招きます。何故「社会最低限・ナショナルミニマム」が置かれているか、一考を願うものです。

