つなげ“希”動力-人生記録員、伊東勉のページ。

17年9月移籍、社会活動中心の記事を記していきます。

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紙一重だが全然違う―ヘイターによる誤情報のばらまきについて(続き)。

 動画も見つけましたが、私の意見は変えません。普段から四六時中憎悪的思考をしている輩に信頼持つほど甘くない。大体本当にカウンターがいった言葉か?逆の立ち位置なら平気で同等以上の行為しますわな。カウンター参加者からは「言葉だけ丁寧にして他の行動で威圧・脅迫したこともある」という経験も綴られていました。百も千も「ゴミ」を撒いておいてたったひとつ返されただけで過剰な反応すな。

 そこまで言うならこうしますか。

 目的がヘイト拡散である以上、その場でとった行動は、たとえ生理的現象だろうがすべて批判の対象でしかない。そういう目線でしか見ない。

 それでいいですね。

紙一重だが全然違う―ヘイターによる誤情報のばらまきについて。

 川崎と沖縄でヘイト拡散を図っている勢力に対してカウンター行動が行われていました。川崎では対ヘイト条令が施行されてはじめての行動。ある種を抹殺に導くような行動には歯止めをかけていく―この路線はきっちり進めましょう。
 で、この話かたりでおかしいキーワードが出てきました。曰く『カウンターの連中が挨拶をしただけで文句を言う』と。は、なんだそれはと思ってくるくる基を辿ってみたら何らかのソフトを使って新聞風に伝えたデマ記事。もとのデマ記事もデマ記事で酷いものですし、そうと分かっていて「挨拶をしただけでヘイト扱いした」とわめき散らすに至っては何を言わんかや。          以外に感想の言葉はありません。
 今までやって来た革新全否定の結果、見事なまでに反動収奪思想の拡大となり、「実は生きにくい社会」を作り出しました。小賢しく生きられる人はそれでいいのでしょうがそういかない人も今のところ多数でして。ヘイト吐いている方々は「反多数派は騒ぐだけでなにもしない」とか述べていますが、当方は「有る事実に対して批判している」のであって、今回のようなデタラメやらかす輩のように「批判するがために事実を捏造する」ことはしません。事実も踏まえないででかい声出しゃ勝ちなんてのは勘弁被りたいものです。

今度こそ後悔したくない−10年前の父の件から。

 今回記事は7月7日にFacebookに記した記事を転載します。


 前回の記事では母の最期の1日についてふれました。なぜ「母の最期を悔いなく迎えさせる」ことに力を入れたか。それは父の時の「悔い」があったからでした。
 父と母は私が中学生の時に離婚。その後父は大船渡を離れ埼玉の蕨市に移ります。高校の修学旅行の時は東京駅に来てもらって涙の再会を果たしましたが、その後高校卒業の時に一度貰っただけで以後は音信不通になります。それから15年が経ち、父は働けなくなって社会保障の世話になることに。その際父が居住していた自治体(千葉県)から連絡文書が来て所在地はわかりましたが、間もなく私が心筋梗塞で倒れます。これでは何もできません。
 2010年。部分的に社会に復帰していた私は「機会を見つけて親父の所に行ってやろう」と。その機会は9月と設定し、別件の用事と併せて父の所に寄ろうと思っていた矢先、父がなくなっていたことを知らされました。2日違いで祖母もなくし、その際の対応でゴタクサも起き、居住地から父の遺骨は持って帰りましたが何か抜けてしまったような気持になり「別件の用足し」に行くのも断念。もっと早くに機会を見つけて一度でも会ってやれば良かったと激しく後悔したのを思い出します。
 それから約半年後に東日本大震災。先に語った「別件の用足し」は社会人野球・クラブ選手権全国大会に出場した高田クラブの試合を見に行くことでしたがそれはかなわず、震災では高田クラブメンバーからも犠牲者が出て、陸前高田市も、大船渡市も…。私自身も3月11日は大船渡にいる予定でしたが、なぜか母がきかなくて大船渡行きを断念。ここまで書いたことを全部まとめて「何もできなかったこと」に悔しさを覚えました。
 だから「今度こそ何もできなかったと後悔したくない」。そういう思いで2010年代を走り抜けてきました。侠気心が先走って「常識外」の行動もすることがありましたが。
 ここまで触れてきた経験を踏まえて、父にはやろうと思ったことができなかった。だから母の時には「悔いなく」…と思ったわけです。人間100パーセント納得ずくで最期を迎えられることはないのでしょうが、納得行く人生を歩んで行こうと目標を定めて生きることはできるのではないでしょうか。これまでの不摂生がたたって「重し」がいくつもあるというのが実情ですが、最後まで歩みきった母の人生を見習って、最後まで生き抜くというのを意識しながらこれからも歩いて行きます。


 母を悼む一文シリーズはここまで2つ記してきました。あとひとつ書いてこのシリーズを終えます。

まぶされ続ければ社会全体狂う。だから抗うのを止められない。

 まず、土曜日で初七日むかえました。ブログではもうひとつ、ふたつ記事をあげますが通常の記事製作も再開します。
 自分が社会活動から離れている間、自分の存在意義にかかわる箇所でひとつ(れいわ比例候補経験者による「命の選別容認」発言)、一人間としての善悪すらつかない公職者による圧力・扇動がひとつ(豊島区議会の沓沢及び呼応者)相次ぎました。前者はここうん十年垂れ流されてきた嫌悪的感情が社会全般に撒き散らされた結果、後者は左派相手なら何してもいいと、最低限を投げ棄てた愚行…なんだかね、と頭を押さえたくなります。
 れいわに関してこれまである程度目をつむってきましたが、大西氏の発言そのものよりその後の支持者による擁護に鼻白む思い。一歩間違えれば“左の維新”になりかねない危惧を持ちます。沓沢一派の請願者圧力は問題外。クズ上等を是とする団体…にすら適応できず、より下劣に退化し、一般人であろうが手続きによらず私刑をかます輩がいつまでも謳歌できると思わないでいただきたい。
 90年代に勃興した日本会議勢力を甘やかした結果、00年代に維新を生み出し、その維新を増長させた結果10年代に“日本第一”名乗る桜井一派や“NHK〜”名乗る立花一派を蔓延らせました。既に沓沢一派のような“下には下”も生まれています。人間の弱さは承知の上で、それでもどっかで歯止め入れないと20世紀、19世紀なんてレベルじゃない「文明社会以前」にされてしまいます。そうなりますと俺なんざ簡単に屠殺されますので、煙たがれようがアカ言われようが最期の時までこの路線には抵抗します。
 それが俺の生まれた意味です。
 
 おつきあいいただきありがとうございました。

母の葬儀も終わりました。記事本格再開は日曜日を予定します。

 今日は。母の葬儀も9日に終えまして、一区切りがつきました。気にかけていただいた皆様、ありがとうございました。

 拙稿の本格的記述再開は日曜日を予定しています。

隙間ない社会は…

 窮屈だ。

 今日も一ヶ所、ぼんやりできる場を失った。

 香港の「脱出も禁止」にやいのやいの言う人いるけど、いまの日本社会も「定型外を許さない」圧力は凄まじい。クレカ持てない人を人非人扱いするとか。

 俺は生き抜いて「定型外」も存在していい、という証を残す。嫌なら物理的になくしてみろ。

大雨災害、無事を願います。その上で「定番デマ」はやめなされ。

 今晩は。
 母を弔う日程、6日は納棺まで行いました。岩手内陸地方も強い雨が降り始めています。既に熊本では大きい被害が出て、この後も九州北部で豪雨が予想されています。どうか無事でいられるように願います。

 洪水対策に「ダム」「スーパー堤防」を取り上げて、失敗は野党のみのせいにして論難かける方もおられます。ダムのみに頼るのは疑問感じますし、スーパー堤防についても「民主党政権が止めた」ことをもって野党批判に使われている様子に同じく疑問を持ちます。
 数十年前に当時の経済界とアメリカ支配層の併せ技で行われた「工事のための工事」、さらに治水対策もダム偏重で河川流域の治水対策(ことに決壊対策堤防)に目は行ったのか…という思いがあります。
 どうしたって施政者は批判受けて仕方のない位置です。でもその批判は事実に基づいた論の積み重ねでなされるもので、「ダム」「スーパー堤防」に「護憲派自衛隊による救助を拒否しろ」という難癖は控えていただくよう願います。実際に拒否しても「自衛隊ほか救助者の手を煩わすな」で石投げつけるのでしょうから。
 俺もいつまでこの世にいられるか…という思いはあります。何しろ基礎疾患×2ですから。ま、めげずに生きてきます。おつきあいいただきありがとうございました。

母の最後の1日。

1)昼に書いた一報でもお知らせしましたが、母が7月5日7時13分に永眠しました。

 79年にわたる人生、特にここ数年はあちこち手術を要する病気を発症し、その都度都度「もうだめだよ」と言われていました。しかし、土俵際に強い性質持っているのか、そういったところから何回も「生還」。一年前も病院移しての手術を越えてきました。その時点で医師が「手を打てる箇所はなくなった」と。あとは家族で覚悟を決めて「最期を悔いなくむかえられるように生きる」ことを意識して行動をしてきました。

2)母が最後に会った人間、結果的に私になりました。いまはコビット19・コロナの影響で15分くらいしか病室に居られないんですね。ここ1ヶ月で急激に体力が弱り、今まで歩けていた箇所も歩けない状態になり水曜日に入院。土曜日。締め切りある仕事を終えて病院に。この時は「長期戦」を考えて、今いる県立病院からどこに移ってどう対応するか、という感じで話を進めていました。どうも次の病院は遠そうだ、ならいるうちにできるだけ顔出すかと病院に。いつも入院時はテレビ見てのほほんとしていた母ですが今回はそれもできていませんでした。

 「勉、足痛い。解してくれ」

 ―左足は既に体温を感じなくなってしまってました。筋も痛くて眠れないと。いることのできた10数分間、ずっとさすってました。

 「楽になったわ。誰もやってくんなくてな。これで寝れそうだ」

 何言ってんだ、と。こんで眠れるようになるなら毎日来てさすってやるぞ、などとはなし語りして

 「じゃあな気をつけて歩けよ」

 これが最後の会話になりました。今朝、母がなくなったことを知らされたとき、なくなったことには驚きましたが、それ以上に「悔いは残さず送ってやれた」という思いでいます。悲しさ、寂しさはありますが。

3)45年前。母が私を妊娠した際、途中で盲腸手術をすることに。兄を出産して以来の妊娠がうまくいかなかったこともあり、周りからは「諦めろ」の声。しかし…普段マイペースな母ですが、一線越えるとぶっ切れる性格を持っていました。

 断固拒否。

 その結果、生まれてきたのが私です。一般的な同年代に比べると…な生活をして来た私ですが、それでもこの世に産み出してくれた母には感謝してもし足りません。一般的な親孝行はできませんでしたが、1日でも長く生きて、ひとつでも何かを社会に残す。生きた証を残すことで母の「気迫」に応えていきます。

 長文おつきあいいただきありがとうございました。

お知らせ。母が79年の人生を終えました。

 7月5日朝7時、入院中の母が永眠しました。

 ここ数年、毎年のように手術を繰り返しながら、頑張って乗り越え、特に一年前の入院では「もう手術で対応する箇所はない」という状態になり、そこからの一年は「納得いく最期をむかえられるように悔いなく相対する」ことを私も、本人も意識して過ごしてきました。余分な苦しみなく、休ませてやれたことが何よりです。

 もう少ししたら会いに行きます。(2020年7月5日8時記)

批判無視なら引きずり下す―一歩目として都知事選は宇都宮氏に。

 支配者目線でしかモノの語り方を知らないのか―自民党が「もやウィン」なるキャラクターを介して憲法について妄言を流し続けています。もは、批判なんぞくそくらえで、この言に応じる者を増やすだけの意図で出し続けているのでしょう。そういう態度に来るならとる態度はひとつ。
 そういう身勝手なやり方で権力を振りかざす輩はその座から引きずり下ろす。「いまはひじょうじたいなんだから安倍さんにたいするひはんはいっさいゆるさない」なんて思想と一緒に野に叩きつける。それが適当と考えますがいかがでしょう。7年も8年も顔踏みつけられる思いをしてきました。このくらい考えて何か悪いですか。

 一つ一つの機会をとらえて「今の政権がしている社会私物化・反動収奪政治を変えていく」のが必要、と拙稿では発信し続けてきました。では、今の時点でその方面に動かすことができる機会は何かと言えば「東京都知事選での宇都宮けんじ氏当選」。他の著名候補は反動右派、あるいは独裁的趣向が見えるなか、地についたやり方で市井の生活改善ができるのは宇都宮候補。今からでも本人・陣営のサイトや動画を見ていただき、「市民の生活に根差し、ゆるぐない状態に陥っても生きていられる社会を」「マスコミなどを悪用しての印象操作ではなく、質実ある実行を堅実に行う行政を」という目線を乗せた宇都宮けんじ氏に一票いただきますようご検討ください。
 
 前半部分相当いきんで書きましたが、要は「選挙で安倍政権与党を落とす」。この数年で野党も相当壊されたのでそれを踏まえて歩いていきましょう。おつきあいいただきありがとうございました。