つなげ“希”動力-人生記録員、伊東勉のページ。

17年9月移籍、社会活動中心の記事を記していきます。

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私怨から政治活動の妨害者に成り果てた者。

 拙稿でも集中的に取りあげていますが、とにかく「口を塞ぎたい」趣旨からの選挙違反詰りが蔓延っています。それを助長している勢力、頭に浮かぶのは権力に過度に依存する者ですが、より性質悪いのが「私怨から対象勢力のすべてを否定する者」。例えば、共産党の場合長年の歴史のなかで転向・転落・離脱者も多くいますが、その中で離脱するだけに飽き足らず、「自身が受けた不満」を敵対行為で晴らしに来る人も。

 この手で目立つのが木下ちがや(異名:こたつぬこ) 。かつては市民活動の中にもいた人物ですが、対人への態度などを共産党咎められて以降は共産党そのものには敵対、「共産党を自らの存在を示す玩具」として扱うまでになりました。このお方はおためごかし的手法…モラハラといってもいいか。「とってもとってもとってもとってもとってもとってもとってもバカでおろかな君たちのためにボクのいうことは聞いてくれないから」というやり口。そこに結論ありきでご意見なるものぶっこんで行動を汚す。近日も「募金活動は違反だ」「共産党に警告したのに聞いてくれない」などと述べて「行動の抑制」と「共産党への誹謗」を行っている。

 該当ツイート見たけど、どー考えてもあの封筒を無差別配布はしない(そういう性質のものではないから)。で、新聞の折り込みならやるのでしょうが、それにも「党員以外にしたら違反だ」とか「党員から搾取する」とか。

 自分の私怨晴らすために、延々とこんなのし続けるのか。不毛にも。アンチ共産党の方々にはウケもよろしいでしょうが、付き合わされる方は辛いです。これも闘争の一環、なのでしょうが。

 思った以上に「このくらいは知っているだろう」のラインは違えているようです。「権力者に都合がいい沈黙」ではなく、市民有権者が憂いなくアウトリーチかけられる方向で整理整頓がされれば、と願うものです。

箕面市長氏による「共産党万博出禁」発言は、いずれ「対象の削除」に結びつく。

 大阪府箕面市議会で、日本共産党市議が万博に関して質疑をしている最中、箕面市長が「共産党は万博出入禁止だ」と発言。市議は発言に抗議をして、市長は表向きだけの謝罪だけはしたようですが発言は撤回しないそうです。

 この件に関して2つばかり。

 1つは…撤回に関しては別にしなくてもいい、と考えます。これは単純明快に「言っても治らない」でしょうし、市長が本心だと語っているのでしょうがないんじゃないんですか。

 その代わり批判は甘んじて受けていただきましょう。

 もう1つ。

 維新以下の政治家は、簡単に対抗勢力に対し「出ていけ」「消え失せろ」という言葉を平気で使います。今回は「万博」だけかもしれません。しかしこの件に触れているツイート見てると、その対象を「箕面市」あるいは「日本」に広げて述べている輩もいます。

 「出ていけ」類の言葉はこれまではあまり使われてこなかったけど、維新とかNHK党とかいう“下劣”上等勢力は平気で使うようになった。

 そーいう行為は、やがて言葉だけじゃ済まなくなる。段々現実に排除する方向に話進む危険性があるから、気をつけないといずれなんか何らかの言いがかりつけて議会から排除する行動取られかねない。

 「“落ち目”の共産党ごときが何ぬかす」-落ち目だろうがなんだろうが多くの有権者の指示を受けて議会に出ているわけです。そのこと自体をコケにされたくはないですね。

 こういう行為の積み重ねが、やがて「何々は殺してもいい」に結びつく。

 その危険性を強く警告して、この一項を終わります。

東京都知事選挙告示にあたり-スパイト思考が蔓延る現状に楔を打つ戦いを。

 今日告示の東京都知事選挙ですが、今までにない凶悪な様相を見せながらこの日を迎えることとなります。これまで政治活動として認識され認められていた行動に対して、政敵を倒す目的で「選挙違反だ」なじる行為が跋扈。これまでこの部分で攻撃を仕掛けた勢力はいなかったのが、この惨状。

 以前にも書いた通り、表現の自由を制限する形での選挙活動規制は、(2000年時点の)自民党の人間でさえこれ以上は無理と判断したもの。それから20数年経って自分が不利になると見るや、法律によってでなく「世の中の空気をいじること」で意思を封じ込めにかかる。人間卑怯クソ上等なったら何でもやるもの、てのはそれなりに認識していますが、「あーここまで来たか」呆れる思いも。

 スパイト思考と言うか、嫌がらせが幅を利かせる社会というか、そういうのがずっと続いて「きれいごとなんざくそ食らえ」な空気はずっと作られてきた。だけども実際問題、その「きれいごと」に挑戦しなければ俺ら庶民がまともに暮らせる社会なんてのは作られなかったわけです。ヤフコメ見てると比較的弱者に対して「存在を諦めさせる」か「存在するなら跪け」という言論が浴びせられていますが、それにはいはいそうですねしゃーないですね、で済ますわけにはいかない。

 この状態の打破は一つ一つの政治戦で活路を見出していくことが必要。そういう意味で今度の都知事選挙で市民・野党共同候補の蓮舫氏を勝たせていくというのことで道を切り開く。

 現職の小池百合子に関してはこれまでも…言葉選ばずに言えばサイコパス的な行動で意に沿わぬ&沿えぬ勢力を踏みにじってきましたが、小池百合子だけじゃなくそこに着く人間も人間が持つ可能性を踏みにじりにかかり、“着いてこれない”者を人をいじめの手法で玩び、その力を保持したいがために「小池は気に食わないが蓮舫は叩き潰す」という行動を選択する。

 人の思いなんて簡単にどうこうできるもんではありません。けどもせめて人の良心が保持できて、それに働きかける・呼び起こす戦いができればとは考えております。

来る東京都知事選2024の下賎な言論状態に。

 来る東京都知事選挙。野党市民共闘で戦う蓮舫氏が公約を発表しました。拙稿でたびたび触れていた「関東大震災の際の朝鮮人虐殺」に対する態度ですが、小池百合子はとうとう在任中追悼文を送ることなく8年を終えました。「他の災害被災者と一緒に供養してるからいいだろう」と思われますが、震災被害者とはまた別に「助かった命を人間の脆さで死に追いやってしまった」事象。検証されることが必要ではないでしょうか。蓮舫氏は知事になったらこの問題に対応するということで、これ一つとってみても応援しがいがある候補者と言えます。

 さて自民党など与党勢力が自力で候補を出すことができず、元々自民党的性格を持っているけど“離れたふり”をしている小池百合子に抱きつくような感じで選挙を戦うようです。

 批判されることそのものを忌避する…もっと言えば政治活動そのものを忌避させるようなやり方をして、今現在力を持っている自身の逃げ切りを図るという性質(タチ)の悪さも、この拙稿でたびたび指摘してきましたが、度合いが悪くなると「下には下」が起こる。

 昨日なんかは「白いジャケットを着ているのは“アカ”」だと述べる人が。たまたまその時に蓮舫氏などがその格好をしていたからなんでしょうが、あまりにも酷過ぎませんか。

 でも彼らはそうやって、何でもいいからおちょくりでも怒りでも何でもいいからアクセス数稼がせて、自分たちの意見が上位にあるというのを示そうとしてくる。

 そこら辺のあたりSNSがどう作用するかまでは私分かりませんが、こういう下賎な攻撃に対しては「一言びしりと指摘しておいて、後は自分たちの拡大に傾注した方がいいのかなと思っています。

沖縄県議選挙の感想ととっていく態度。

 沖縄県議選、“オール沖縄”陣営は定数48中20議席日本共産党は4議席に後退しました。後退した、という結果から「ウケのいい立ち位置への転向」求める声も出ましょうが、社会の選択肢を失くすようなマネは止した方がよろしいかと。むしろ、四方八方のネガキャンにもかかわらず0にはしなかったことを評価。

 ある意味開き直りとしか言い様のない一文ですが、自身のしていることに自信・確信持てなければ「こーいう社会がある」ことを世に示せない。力が足りない、というか「ネガキャンばかり蔓延って肝心の“本人の声”」聞こえない状況にさせられているのをどーにかしたい。

 「選択肢のひとつ」でしかないものを、片や「愛国的」片や「反日的」にさせれている言論状況に納得いかないものがあります。そんなわけで、無暗やたらにものわかりのいい態度を私はとりません。東京都知事選なら予定候補・蓮舫氏がどういう方向で社会進ますかを語りましょ。

連合が小池支援、立憲民主党までもが傍観の構え、という報道。それでも泰然としましょうか。【至・東京都知事選】

 ここ1日2日の東京都知事選挙関連の報道で「あーそうか」と思う出来事がありました。

 1つは連合東京が小池百合子を支持したこと。

 もう1つは泉健太立憲民主党首が「蓮舫氏を支持しないこともある」と発言したとの報道。

 前者に関してはそうなる可能性もあるとは覚悟していましたが、後者に関しては報じた媒体の姿勢に疑問がありますが、事実なら選考委員会まで経て決めたことを覆しにかかる行為、「ここまでやるか」と言わざるを得ません。

 泉はさらに今後の選挙で共産党に関して完全に離れてほしいような言い方をしていました。選挙界隈と呼ばれる方々が「選挙というのは中庸を取った方が勝つから、共産党社民党には“奴隷”になってもらって、立憲・国民・維新を前面に押し立てて政権交代しよう」と述べられる方もいますが何なんでしょうか。

 まあいいです。「去る者は追わず」でいいんじゃないんですか。で、目的が一致する人たちと共に行動していけばいい。資本主義社会が持つ収奪的な性格、より多くの利を得ようがするゆえの非人道性をどうにかしようとする人たちで行動し、輪をどういう形であれ広げていくことが今重要かな、と。

 様々な政治状況から政策実現実現の方法を「依らば大樹」に求める人たちもいますが、敵…という言い方が嫌なら利益相反者に寄りかかってどうするのという思いはあります。更に言えば「わざわざ自分の存在価値を失いに行きますか」ですが、離れたければご勝手にどうぞ。

 東京都政について言えば、革新都政以降、青島氏以外は保守系の知事が続きましたが、その中でも石原慎太郎小池百合子と人身荒廃の施策を悪化させてきた状況を肯定しない。

 特に小池百合子になってからは人権関連で…こう言っては難ですがサイコパス的な言動・行動も見られてきました。そしてその言動・行動を呼び水に人権によって救われなければならない人たちに容赦ない攻撃も加えられました。そういう都政をこれ以上続けさせるわけにはいかない、そういう旗印を持ってたたかいに行くことは必要です。

 ついでに。「お前の書いてることは事前運動w」というご意見が降りかかりましょうが、これが事前運動ね…。社会の現状を書いて、“こういう社会”持ってきたいねと書いてるだけで難癖やってくる現状には折れないで歩き続けます。

「人権に救われることを許さない」言論には折れず、ただ実現に向けて歩くのみ。

 もう一つの主題の方で大きな大会があり、ブログの記述はそちらに傾注していました。社会活動の部分の記述が薄かったので、それ以前から崩していた調子と併せて戻すようにしていきます。

 数日前、人権的な問題で二つニュースが入ってきたんですね。ひとつは飯塚事件の再審棄却、もう一つは生活保護受給者の車所有に関わる裁判。前者は冤罪の可能性が高いことで報道・検証もされている事件であり、後者にしても「生活の自立」という面に鑑みてみると生活保護受給者だから車は一律だめだとはならない。現在の社会事情にどう対応するかという部分で問題を投げかけていますが、いわゆる言論の集まる場所としてのSNSとかヤフコメを見ると、どちらにも人権を求めるという行為そのものに冷淡に対応する人が多くおられるのが残念です。

 それぞれにどういう言葉を投げつけられてるのかまで突っ込む時間がないので、端的に言えば「人権追求なんかすんじゃねえよ」「お前たちのやってることはわがままだから黙って大勢の言う通りに黙っていろ」としか考えられないご意見がたくさん載っていました。

 こういう社会の中で生きてるんだなというのを繰り返し実感させられますが、そのままでいいわけでないよね。そういう人たちを見殺しにするような社会は、いずれその見殺しにする範囲を広くする。

 一見、生活保護者に対して「車は贅沢」思うのかもしれないけど、脱却した先に自立する能力として車の運転能力も必要。それが一時の生活困難で失っていいんですかっていう思いはありまして。加えて公的インフラガチャガチャに切り棄てておいて、それを補うために自分で車を持つ、それすらも許さないんじゃあどーしろと思います。

 切り棄てることに快感覚えてしまった人は「そんなの~~に強制移住すればいい」という。じゃあそれまでの人間関係とか全部切り捨てて再起できんですか。

 ヤフーコメントを見ると人権の拡充=わがままとして捉え、大勢に服従するように求められるご意見が山ほど出てきますが「それは違うんじゃないんですか」「人権拡大は自身も救うものですよ」という意見を置き続けることは必要と考えます。それがゆえに私のようなボロカスでも意見を述べ続けているわけです。以上、何度でも再確認して記述を終わります。

猫も杓子も「事前運動」「公選法違反」呼ばわりー攻撃の狙いは「トーンポリシング」。意図を知って、黙らずに行きましょうか/その他2題。

① 7月上旬に行われる東京都議選など近隣に行われる政治戦に関わる行動を「公選法違反」「事前運動」呼ばわりをする人が増えています。しかもこれまで言われていなかった項目にまで難癖づけが増えている。この様相には眉をひそめるものがあります。そういう行動がなぜなされているかというと「ある方面の政治活動を抑圧するために行われている」ものと見ています。

② そもそも日本の公職選挙法はどのような立ち位置で作られているか。

 明治時代から大正時代にかけて選挙の権利が拡大していますが、それをに関わる法律は『市民は愚民』だという視点から「何々をしてはいけない」などという抑圧的性格で組み立てられました。さらに政権(大方は自民党)が反対勢力の活動を封じ込めるために「対抗勢力が生み出した活動を抑圧する」目的で改定が行われてきました。

 ただ、その一連の改訂も1999年の改定(政党機関紙の拡声器宣伝の禁止)の時点で「これ以上の規制的な“改定”は言論の自由を狭めてしまう」ということで打ち止めに。SNSの発達により、その活用に関しての法律制定はしましたが、それ以外での「活動の自由が利く」方向での改定は盛り込まれないまま現在に至ってきました。

③ 2010年代に成立した安倍政権は、政権批判封じ込めのために様々な手練・手段を下しました。表立ってはマスコミなどの圧力なども行いましたが、裏ではJNSC・自民党ネットサポーターズクラブによる難癖づけの公選法違反呼ばわりも行われてきました。

 実際には違法ではないから無視しておけばいい…と思ってるうちに「言ったもの勝ち」の事態が起こってしまっています。

 一例として「たすき」の部分。禁止の証拠として公選法第143条第16項の「立候補予定者の氏名を提出することを禁じている」を指してているようですが、その中に同法同条同項第3号の適用除外を規定している部分では「政治活動のためにする演説会・講演会・研修会その他、これらに類する集会の会場において当該演説会などの開催中使用されるもの」という規定があります。要は143条第16項では禁じているけども先に書いたような行事などでは禁止の適用除外とになっているわけですが、そこの部分は見ないで第16項までの部分で見て違反と呼んでいる。

 運用とか適用とかはもうどうでもいい、政敵を倒せればそれでいいとのみ考える人は、「たすき」というだけで違反と結びつけてしまい、それをもとにした議員・候補者に対する攻撃も激しくなってきた。その状況を鑑みてたすき着用をためらう人も増えてしまいました。

④ そういう成功体験を許してしまった影響が、今回の難癖につながっている。政策チラシの配布や政治宣伝など各種活動にも「選挙に出ようとする人が政治活動をする」というだけで事前運動だと難癖つける人が多くなっています。その難癖づけが何を生じさせているかといえば、先ほど述べたような市民有権者に訴えかける行為・アウトリーチをかける行為が萎縮させられる。更に行動することそのものへの嫌悪感を植えつけ、有権者と一つの意思を引き剥がす。

 以上2つの効果を生じさせている状態です。

 こういう感じで言論を封じ込める方向で進ませてしまった場合、社会がかなり窮屈にさせられることを危惧します。

⑤ 追加で2つほど。

(1)これは政党の方も「~~の行動はこういうことで正当なものだ」というのを打ち出す必要もあったのですが、良く言えば有権者市民を信頼したが故「言う必要がない」と思ったのでしょうが、これからはそういうのも提示した方がいいのかなとも思う次第です。

(2)最近報道されることが多かった「つばさの党」の妨害案件ですか、それも上記に記したような封じ込めを加速させる道具にさせられている。彼らの愚行に対しては公選法以前の問題として厳しい対処が必要なもの。

 そもそもつばさの党は第二自民党の維新、第三自民党的性格を持つNHK党・立花一派と流れてきた性格を持つ勢力をさらに1段下に位置する勢力。自民党的な施策そのものに関しては逆らわない尖兵として存在している勢力です。

⑥ ここまで拙稿では幾度も「安倍政権の行動が“序章”にされてしまう危険性」を述べてきましたが、いよいよここから本当に崩されるのでしょうか。間違った理由による「じゅんぽうせいしん」とやらである立ち位置にいる人は意思を発する手段を奪われて。

 それに「はいそうです」「諦めます」「しゃーないですね」というわけにはいかない。少しでも「真面目さ」ってのを取り戻さなきゃなんないんじゃないんですか。「ついてくるのを待っている」わけにはいかないので、気づいた人から真面目に行動する、で歩いて行きましょう。



 最後に。

 近日、本当に痛恨の出来事がありました。その事象はデリケートな問題なので文章に気をつけながら記述をしていく予定にします。起こった案件に関しては私も紙一重の経験をしていたので他人事とは思いません。

 もうひとつ。現在行われている政治戦・沖縄県議選。日本共産党は7人の候補者を出しています。全員の当選を目指しますし、問題提起を社会のものにして解決を図っていきたいとも考えています。(共産党沖縄県委員会 https://jcp-okinawa.com/

 今日はしばらく記事を書くことができなかった分、長文となりました。おつきあいいただきありがとうございました。

「きれーごと」失った社会は「殺し殺され」の社会になる。人権思考のある社会を保とう。

 東京都知事選挙7月7日投開票ですか。沖縄県議選が6月16日投開票で、2カ月連続で大きな政治戦を迎えます。私個人がどう向き合うかについてはシンプルで「左翼・個々人の人権尊重的な社会を行う発言力を維持する」を基本線にしていますが、その守ろうと思っている思考そのものを叩いて潰してしまおうという空気が満ちているのが現状です。

 そして、その潰し方というのも手段を問わず。言ってしまえば「あらゆる行動に難癖つけてすりつぶしてしまえ」というやり方が取られてます。蓮舫氏の国籍問題にしてもどうしようもない物事を-国籍は自分の国の都合だけではどうにもならない部分あります-詰り、今日は群馬県草津町長に対する元町議の言動・行動に関して、国民民主党の候補者が謝罪したという一件もありましたが、元町議の虚偽言動は厳しく見られて止むなしも、騒動の中で生じた「力関係をカサに来て少数派を叩き潰しに来た」あるいは「草津町民による女性一般に対する侮蔑的な言動があった」ということも忘れてはならないものと考えます。

※私は元町議の行動・言動に不信を持っていたので「事実を見る」以上何しようとは思いません。

 「人権さえ失わせてしまえばそれに寄ってでなければ生きられない立場の人はみんな始末できる」とでも思っているのかもしれませんが、そういう空気になっ

てしまうと文明を投げ棄てた野生的な世界になってしまう。人権思想を追いかけると「きれいごとなんだよ」と邪険な扱い受けますが、じゃあそれを無くして「誰もが簡単に殺し殺されの世界になってしまうんですよ」というのを認識していただくことを願います。

蓮舫氏街頭演説「雨」すら攻撃の道具に。「黙らせる」目的の嫌がらせに屈せずにいましょう。

 ここ数回の記事で、「人権思想を潰すためならどんなことでもやってくる」という危機感から警告記事を書いてきした。しかし、そのやり口がくだらねえやり方でなされている…言ってしまえば下劣さの加速が進むとは思っても見ませんでした。

 東京都知事選に立候補を表明した蓮舫氏が東京都内で街頭演説を行ったとのこと。これは「どういう政治を目指していくか」を公約ではないにしろ意思を示す場になったわけです。それに対して維新の会政治家がとんでもないことを言ってのけました。

蓮舫は雨から守られている一方で、演説を聴く人は雨に打たれっぱなし」でいるから「ロクデナシ」。

 …演説というのは場所と日程は指定しますが、屋外でやるとどうしても天気の影響は受けます。その天気がどう変わるのかは操作できないんですよ。誰であっても。

 あまりにひどい天気であれば中止など対応はされるのでしょうが蓮舫氏が行われていた時の天気ではそこまでのレベルでもありませんし、繰り返しですが天気は誰であろうが操作できません。

 言いがかりとしか言いようがないんですよ。

 現に詰る発言した維新・馬場にしても自身の雨中街頭演説した時の様子がすぐ判明したわけでしょ。自分が殴られようが「言ったもの勝ち」にしてしまうのが彼らのやり口。天気まで詰る対象にしたら、誰も街頭演説、できませんよ。

 また、この演説を持ってきて「事前運動」などと述べているのもいますが、「何月何日の選挙に立候補していて投票しろ」と言ってるわけじゃないから事前運動に当たらない。東京都の政治語ることなんて誰でもできますし、そんなこと詰り出したら政治活動何にもできませんよ?

 じゃあこういう嫌がらせたくさんぶつけて何させたいかと言うとトーンポリシング、「黙らせる」なんですよ。4月の補欠選挙でつばさの党がやったのも行動させなくするという意味でいえばトーンポリシング・アクティブポリシング(とでも言葉を作りましょうか)行動、要は黙らせて動かせなくするが目的ですから、それに対抗するには嫌がらせに屈しないで動く、が正解じゃないでしょうか。

 とにかく社会に「こういう問題があって必要な対応

策を示していくこと」を愚直に進めて行こうと思い直す次第です。

PS 政治活動の「たすき」問題。公選法的には問題なく跳ね返せるものであったはずですが、そういう運用・理屈などクソくらえで身の危険まで生じる事態も起きていることから「着けない対応」もせざるを得ない、と聞きました。事情を理解した上で…言いがかりに屈したような形になり残念です。

 先の「事前運動」呼ばわりする方々は「選挙が始まるまでは何もせず黙れ」と言っています。ここまでにさせてはならないです。