つなげ“希”動力-伊東勉のストラグル日記。

17年9月移籍、社会活動中心の記事を記していきます。

「批判=打撃」という風潮/社会の最低限「ナショナルミニマム」について。

記述日:2月9日

1️⃣ 気がつけば私も50歳になり、自分より下の年代の人が多くいる状態となりました。当然、世代間のギャップも発生するわけで、それにどう向き合うか考えさせられることもありますが、どうしても譲れないと思う部分もあります。

 特にここ数回の選挙戦、とりわけ今回の選挙で明らかになったのは、「批判=打撃(攻撃)」と捉える思考回路。「批判をする」という行為そのものがマイナスに作用してしまう事態が生じています。正直、これはいったい何なのだろうと感じます。

 私自身、昔気質の体育会系に身を置いていたこともありますが、それを抜きにしても必要な場面で「叱る」ことは教育上必要だと考えている人間です。代表的な教育論として、元MLB選手の菊池雄星選手のお父様がお話しされていたことが心に残っています。

「息子がやる事に関してはほとんど見守っていたが、命に関わることに対しては厳しく叱りつけた」

 という趣旨のお話でした。私自身もこのスタンスです。私自身の性格は短気な方ですが、怒りに任せて物事を進めることはしないよう律しています。しかし、昨今の「批判=悪」とする風潮には「ちょっと待てよ」と思うのです。批判そのものを拒絶する空気は、少し度が過ぎているのではないでしょうか。

 これは現政権の支持者に限らず、リベラルや人権主義の立場を取る人たちの中にも、批判に対してマイナスイメージを抱く人が増えています。「批判を前面に出しすぎるな」という戦略なら理解できますが、「批判が全くない」というのは違うはず。一方で野党に対しては与党側やアンチリベラルの立場から激しい批判が浴びせられているのも事実ではありますが、ここまでの記述を認識いただければと願います。

2️⃣ もう一つ、この選挙で顕著だったのが、ショート動画による刷り込みの影響です。自分もしていてからなぜショート動画の話をするかというと、これまでのリアル社会における街頭宣伝やビラ配布、電話かけといった有権者への情報伝達手段が、今や「動画サイトでいかに短時間で発信するか」という形に様変わりしているからです。

 この背景には、多くの人が「文章を読む余力」を失っていることがあるのかもしれません。私のブログやFacebookでは、2020年代に入ってからも原稿用紙1~2枚分を目安に書いてきましたが、読者から「原稿用紙1枚でも長すぎる」と言われた時は驚きました。さらに最近では「(X・旧Twitterの)140文字でも長い」と言われ、さすがに冗談だろうと思わざるを得ませんでした。SNS動画も「長くても15秒、大体6秒から10秒で決着がつくものを」と提案されます。

 残念ながら私の考えが追いつかず、今回の政治戦で作った10本の動画は、どれも1分半ほどの「ミドル動画」になりました。ショート動画の制作も試みましたが、構成を上手く作れず断念しました。

3️⃣ 最近はCanva(キャンバ)などのデザインソフトが発達し、私の周りでも月額契約をして活用している知人が増えています。しかしその流れの中で「置き去りにされているもの」はないでしょうか。便利になっても、アナログな技術でしか情報を得られない人もいますし、作る側も全員が便利な機材を使いこなせるわけではありません。

 政治には、非多数者へのな配慮」が必要な場面があります。誰もがスマホを自在に操れるわけではないという視点は、投票権の保証などにおいても不可欠。個人の仕事や趣味であれば、自分の能力に合わせて便利なものを使えばよいでしょう。

 しかし、政治は社会に存在するすべての人に関わる場所です。便利さにかまけて「ついていけない人を叩く」様子も見かけますが、その様な切り捨ては「棄てたゴミに足をとられる」事態も招きます。何故「社会最低限・ナショナルミニマム」が置かれているか、一考を願うものです。

総選挙と反動右翼勢力による「言葉の書き換え」。

記述日:2月10日

1️⃣ 2026年の総選挙において、目に見えて明らかになった出来事は多くありましたが、その中であえて「言葉の書き換え」―正確に言えば「概念のすり替え」と呼ぶべき事態について、少し書いてみます。どうぞお付き合いください。

2️⃣ 特に昨年の参院選後から、リベラルや人権主義思想に対して、逃げ道を塞いで殴りつけるような攻撃が加えられています。これまでの左派が積み上げてきた言説を全否定するような動きの実態についてお話しします。

① 自民党改憲草案による「憲法第97条」の削除

 現行の日本国憲法第97条は、基本的人権が「『人類の多年にわたる自由獲得の努力の成果』であり侵すことのできない永久の権利である」ことを示した、最高法規としての役割を示す条文です。11条にも基本的人権は書かれていますが、97条はその存在をより強固に裏付けるもの。

 ところが、自民党改憲草案(2012年発表)では、この97条が削除されています。「11条があれば十分であり整理しただけだ」との説明や、中には「GHQ幹部のお気に入り一文だから保持したのだ」といった乱暴な意見も散見されます。しかし、この97条を外すことは、11条を単なる飾りに変えてしまう危険性を孕んでいます。

② 憲法第36条「拷問の絶対禁止」からの「絶対」削除

 戦前・戦中の大日本帝国は、体制に逆らう者を拷問で徹底的に痛めつけました。判明しているだけでも約1500人以上が命を落としたという反省から、現行憲法は「公務員による拷問及び残虐な刑罰は、絶対にこれを禁止する」という条文を作りました。

 しかし、自民党改憲案ではここから「絶対」の文字が削られています。「禁止は禁止なのだから絶対がなくても同じだ」と言いますが、これまで権力を縛り続けてきた言葉をわざわざ削る意図は何なのか。その先には、拷問を「利用」しようとする権力者側の思惑が透けて見えます。

③ 憲法が縛る対象のすり替え

 本来、憲法とは「法律によって市民を縛る権力者を縛る」ためのものです。ところが改憲勢力は、この矛先を国民に向けようとしています。

 憲法遵守義務の対象を権力側ではなく国民側にすり替え、市民が法律と憲法の二重に縛られるような構造です。別に「憲法は日本の国のあり方を示すものだ」とも言いますが、どっちにしろ「ふざけるな」と思わずにはいられません。

④ 治安維持法小林多喜二の「再解釈」の中身を反動的に変える暴挙

 さらに恐ろしいのは、治安維持法による犠牲、特に小林多喜二の死すら「なかったこと」にしようとする動きです。当初は共産主義を取り締まる目的だった治安維持法が、最終的には戦争に反対するあらゆる人々を縛った歴史は明白です。 しかし最近では「多喜二を死なせた警察権力は悪くない。多喜二側に問題があった」と主張する記述まで見かけます。

 拷問を行った特高警察の行為を擁護、あるいは都合悪いことは無視する。一方で、遺族や弁護団が当時「告訴しなかった」ことを捉えて、警察の正当性を主張する。

 多喜二の母親は文字を書くのもやっとの方だったといいます。特高警察が猛威を振るい、葬儀すら妨害される時代に、今と同じような法的対応ができるわけがありません。こうした背景を無視した難詰はあまりに酷いものです。

3️⃣ 冷静さを欠いた「戦争への傾斜」

 こうした一連の動きは、日本を大日本帝国時代に戻したい/あるいは特定の攻撃的な権力構造を作りたいのか。昨今のウクライナ侵攻や、トランプによる抑圧的な対外政策などの情勢に煽られ「理想は棄てて戦争に備えろ」「9条は古い、敵がいるんだ」という短絡的な考えが響き渡っているように感じます。

 「危ないから、戦争による解決も辞さない」という理屈で9条を蔑ろにし、その結果として国内の生活が困窮しても「戦争なのだから甘んじて受けろ」というのはあまりに逆上せていないか?

 それでも、こうした勢力に力を持たせたのは事実です。私は淡々と自分の意思を社会に置いていく(=発信し続ける)ことを基本にするしかありませんが、それ以上の向き合い方を皆さんと共に考えていければと思います。

総選挙2026、日本共産党は4議席でした。今選挙で打ち出した「資本主義を越える社会を作る意思」。

1️⃣ 2月8日投開票の総選挙ですが、記述が数日遅れました。開票中に記事を書いたり、翌日に速報を書いたりできれば良かったのですが、そこら辺の気持ちが追いつかず、日が経ってからの記述になったことをご容赦ください。今回のエントリーは8日付としていますが、執筆は10日に行っています。

2️⃣ 総選挙の結果ですが、私の支持している日本共産党は得票率約5・1%という結果となり、当選者は比例代表東京ブロックの田村智子さん、近畿ブロックの辰巳孝太郎さん、南関東ブロックの畑野君枝さん、北関東ブロックの塩川鉄也さんの4名にとどまりました。高橋千鶴子さんの議席奪還を狙った地元・東北ブロックでは、15万5466票を得ましたが奪還とはならず、この部分でも残念な結果となってしまいました。岩手県関係では岩手1区に吉田恭子さんが立候補し約1万票という結果となりました(2、3区は擁立/共闘なし)。これまで議席を確保していた東海、九州ブロックで議席が消滅し、近畿ブロックでも議席減という、悔しい結果としか言いようのないものですが、それでも歯を食いしばって歩き続けなければならないわけです。強大な逆風がこれでもかと押し寄せていますが、「戦う意思だけは捨てない」ということだけを確認して、今後も向き合っていこうと思います。

3️⃣ 私の最近の選挙戦の目標である「左派的/人道主義的思考を残す」ということが、最優先の目標にならざるを得なくなっている現状に残念さを感じ、また強い危機感を覚えています。

 日本共産党は今回の選挙戦で、特に「資本主義の枠を超えた社会づくり」という部分の政策も強く押し出すようになり、大きく打ち出した「タックス・ザ・リッチ(富裕層への課税)」「所得再分配機能の強化」など大企業・富裕層だけに富を独占させないための取り組みを前面にしました。この形の政策は他の政党には出せない、共産党だけが持つ強みではありましたが、この21世紀に入ってからの「儲けることが尊い」と考えがちな新自由主義、あるいはアクシデントが起きて社会保障などに頼らざるを得ない人たちを攻撃する「自己責任論」が全方位で浴びせられ続けてきました。

 その考えのもとで「儲ければ偉い」という部分が過剰に追求され、さらに社会保障そのものへの攻撃も凄まじかった状態で、「タックス・ザ・リッチ」の思考も「富裕層の頑張りを折るものだ」と批判の対象になりました。よくよく考えれば、富裕層が自分たちだけで富を固めてしまい、それを社会に回さないこと、あるいはその富を得る手段も多くの労働者や公共インフラを使ってきたわけです。富裕層だけのわがままを許すというのはいかがなものかと思いますが、残念ながら先のような認識(自己責任論など)の前には、今のところあまり快く思われていないという結果になってしまいました。

4️⃣ ただ、今言ったことを完全になかったことにしていいのか。いずれそういう部分とは真剣に向き合わなければならないのではないか―という一石を投じたものとなりました。そのことを社会全体が考えるきっかけにしていただければと願うものです。

2月8日の投票日を前に―差別・排除に抗う1票は日本共産党に【総選挙2026】

1⃣ いよいよ明日、2月8日は投票日当日となりました。

 政策の詳細については、前回記事で詳しくお話ししましたので、今日は重ねて述べることはしません。ただ、2枚目の投票用紙(比例代表)には「日本共産党」と書いていただき、東北の命綱である高橋千鶴子さんを、再び国会へと送り出していただきたい。

 今回の選挙では、これまでの10年で築いてきたような野党間の「約束ごと」は存在しません。だからこそ、資本主義の悪癖と戦う日本共産党の候補者、あるいはその信念を持って行動する方々へ、皆様の1票をお寄せいただきたいと考えています。

2⃣ さて、この選挙期間中に考え続けてきたことがあります。昨年あたりから一段とひどさを増している「差別・ヘイト」の問題です。私個人の思い、少しお付き合いください。

 幾度か発信してきましたが、私は情緒障害を持って生まれました。就学にあたっても多大な苦労を経験しています。 小学校、特に低学年の頃はその出自だけで謂れのないいじめを受けましたし、思い出したくもない被害に沈むこともありました。

 それでも、世間はいじめる人間ばかりではないと信じ、黙ってやられっぱなしにはならないとも対処してきました。そうしたぶつかり合いの中から他者との距離感を掴み、社会に対応できるようになったという経験があります。

 そんな私にとって、存在そのものを否定され、叩かれている人を黙って見過ごすことはできません。 昨今、猛威を振るっている外国人への差別やヘイトを見ていると、彼らヘイターは「いじめていい理由」を捏造しているように見えます。事実をこじつけ、相手の逃げ道を塞ぎ、重層的にいびり抜く。そして「自分たちが正しいのだ」という空気を作り上げています。 しかし、こうした過剰な攻撃は、結果的に社会全体に余計な負荷をかけるだけなのです。

3⃣ この差別ヘイトの問題をどう捉えるべきか。参考になるのが、1月下旬に盛岡で行われた高橋千鶴子さんの訴えです。

 高橋さんの言葉に尽きると私は思います。

4⃣ 今回の総選挙は1月10日頃に突然加速し、あまりに急足で進められました。その過程で多くの歪みが生じ、投票の権利が確実に保障されないような不十分な状態のまま、明日を迎えることになってしまいました。「ナショナル・ミニマム(国民に対する最低限の生活保障)」を守るのが政治の仕事です。しかし、現在の高市政権はそれを最大限に切り縮め、自分たちの優位な立ち位置だけを維持しようとしています。

 ですが、こうした公の仕組みを壊した「歪み」は、いつか必ず自分たちに返ってきます。かつての身分制度でできた歪みが後の世に大きな禍根を残したように、一度作った歪みは、後になってから「復讐」してくるものです。捨てたゴミに足を取られて怪我をするような事態を、政治が招いてはなりません。

 選挙の結果だけで、私たちの反撃する力を削がせてはなりません。 私はこの1ヶ月、自分にできる限りのことを必死にしてきました。社会活動を続けて30年。この先どこまで歩けるかは分かりませんが、歩き続ける限りは、必死に頑張り抜くことを誓います。

 選挙戦、私の想いをお聞きいただきありがとうございました。

 重ねて「日本共産党」への投票、ご検討ください。

「よってけらっせん伊東勉のラジオ」台本より-今回政治戦のものの見方を記しました。【総選挙2026】

※今回記事は動画番組「よってけらっせん伊東勉のラジオ?」台本より転載します。

 

 こんばんは、伊東です。 今回は2年ほど前にも行いました「総選挙に関するお話」を、ラジオ番組風にお送りします。2024年の総選挙の際にも同様の企画をやったのですが、その時の閲覧数はたったの100回という記録でした(苦笑)。まあ、完全に独学でやっている身ですので、それだけの方に見ていただければ、むしろ「上出来」と言えるかもしれませんね。

 現在、私のYouTubeアカウントが凍結されてしまっているため、発信媒体はMetaのFacebookInstagram、Threadsの3種類に絞っております。X(旧Twitter)での発信は、今回は見送ることにしました。

1⃣ さて、今回の選挙戦にあたり、私が感じている「3つのポイント」を雑感として記していきたいと思います。

ポイント1:左翼的思考・人権主義の土壌を守る
 まず一つ目。私がここ数年、特に2020年あたりからずっと意識してきたのは、「左翼的思考」や「人権主義」という存在を守る戦いをしよう、ということです。

 現在、その土壌は削られつつありますが、それでも「絶対に削られてはならない一線」でなんとか踏ん張っている状況です。 私が長く続けてきたスポーツでもそうでしたが、30年の活動の中では、絶望的な大差をひっくり返して逆転勝利した試合もありました。それらの試合を振り返って言えるのは、「壊滅的なゼロの状態にせず、ギリギリのところで踏ん張ったからこそ、反撃の機会が生まれた」ということです。

 「0にしないこと」の重要性、あるいは「0から1」を作り出し、それを世の中の常識・問題意識に変えていく取り組み。これは日本共産党の活動の歴史そのものでもあります。かつて天皇主権だった時代から「主権在民」や「女性参政権」を掲げてきたこともそうですし、身近な地方政治でも、例えば最近では「香害(香りの害)」の問題解決など、多くの事例があります。

 「現状では少数派」かもしれませんが、資本主義が陥りがちな「横暴」を乗り越える視点、すなわち左翼的思考や人権主義がなければ、こうした救済の目線は生まれません。この視点の重要性を、ぜひ考えていただきたいのです。

2⃣ ポイント2:日本国憲法を守り、活かす
 二つ目は「日本国憲法」についてです。 これまでの私の発信で憲法については大きく扱ってきませんでした。運動自体は各所で活発に行われていますし、自分が言わずともその貴重さは明白だと思っていたからです。

 しかし、改めて憲法を見れば、武力によらない解決を説く「9条」はもちろん、拷問の絶対禁止といった「人権を守るための条項」がいかに大切かがわかります。 自民党改憲案などは、基本的人権を無効化しかねない危うさを孕んでいます。この憲法を壊すわけにはいかないという思いが、私の中で強くなっています。

 「9条なんて理想論だ」という声もあります。しかし、その理想を現実にするため、あるいは事態を最悪にさせないために、水面下で白鳥のようにもがく必死の取り組みがあることを忘れてはなりません。「空論」の一言で片付けるべきではないのです。

 本来、憲法とは「権力者の暴走を抑える」ためのものです。しかし、今の改憲勢力は、逆に「国民を縛る」ために憲法を使おうとしています。法律で縛られるだけでなく、憲法でまで抑え込まれる。そんなことがあってたまるか、という強い憤りを感じています。

3⃣ ポイント3:右傾化の波に抗う「新たな共闘」
最後、三つ目です。 2015年の安保法制(集団的自衛権)以来、野党と市民の共闘は紆余曲折ありながらも続いてきました。ところが今、大きな変化が起きています。

 「中道改革連合」という動きです。与党を離脱した公明党立憲民主党と組む事態となりましたが、そこには与党時代の反省や総括が見えません。立憲側もこれまでの約束ごとを反故にするような形で乗ってしまい、掲げられた綱領には「自民党政治を根本から倒す」という立場が欠落しています。 これでは、これまでのような選挙協力は成立しません。

 自維、国民民主、さらには参政党など、全体が右へ右へとなびく中で、私たちが守るべきは、やはり最初に申し上げた「左翼的思考」です。 日本共産党社民党新社会党、そして一部で協力関係にある、れいわ新選組といった勢力が、新たな共闘を目指して動き始めています。人権主義を守り、それを自分たちの生活改善につなげていく。そういう立ち位置の人を増やしたいし、私自身もその活動を続けていきたいと考えています。


今回も「伊東の話はつまらんな」と思われるかもしれませんが(笑)、田村智子さんや山添拓さんのような華やかさはなくとも、これが私の考えている等身大の想いです。最後までお付き合いいただき、ありがとうございました。

公選法を使った難癖つけに─奈良2区での自発的行動について。【総選挙2026】

1️⃣ 奈良2区の候補者を自主支援した運動のなかで「ルールに触れるのでは?」との在野からの指摘→官権の指摘があり自主的に取り下げた事象がありました。抗うことも出来たのでしょうがあくまでも自主的な取り組みで対応力の問題から『従うしかなかった』。しかし「できること狭める」のは?と。その後、公選法の複雑さと性格を話し、当事者を労ったポストに「違法行為」「自分等で始末しろ」と意見が来ましたが、私は「自主的な取り下げ 違法行為とまでは見ていない」「違法だというならご自身の手で対処しろ」という意味で「他人を使うな 自分の手を汚せ」と述べました。

2️⃣ 政党として行われている諸活動は公選法の範囲内で行われていて、傍目には「(トーンポリシングの意味合いこもった)違法」呼ばわりされることもありますが「できることの最大限」をしているだけの話です。生来の性格から言葉が強く出してしまう部分はありますが、「できることを狭めようとする圧力」には「違うだろ」と示すことは必要じゃないですか。

 まして自分の主張を通すために意見の違う他者を利用するな。この手の行為が嫌で必要以上の厳しい言葉を吐きました。

3️⃣ 整理。

①私自身のあらゆる行動は公選法の範囲でしている

②該当の自主的な取り組みは「意思は尊重 公選法の性格を話した」

③他人の手を使って操ろうとする行為へのトラウマ的嫌悪感から過剰な言葉が出てしまったことの評価は見た人に任せます。

4️⃣ 案配は必要でしょうが、迎合的に自分の手を縛ることにつながる行為を許したくないので強い言葉を発しました。「弁明」は以上です。

▽追加 

違法だと認識している人が該当事案・実行者を批判する→ありうること。

違法だと認識している人が「そうと考えていない人」を操って自分の手下のように扱って批判させようとする→このやり方を嫌います。意思通したければ自分でやれ、という話です。言葉の強さの批判は受けます。

前日に引き続き奥州市演説会。千田みつ子・斉藤信両氏の呼びかけ。

 2026年の2月が始まりました。岩手県の内陸地方は雪ががっさりと降っており、その中での選挙戦は本当に過酷です。道路も狭くなり大変だと思っていたら、青森県から「スーパーに商品が届かなくなっている」というリポートも入ってきました。その一方で、岩手沿岸は昨年同様の少雨小雪が続いており、山火事注意報が出される事態。昨年は大船渡での大規模林野火災がありましたが、今年も山梨県上野原市で規模の大きい火災が起きています。火の元には十分に気をつけていきたいものです。

2️⃣ 今日は午前中、居住地での政策宣伝活動を終えた後、奥州市へ飛び日本共産党の演説会手伝いをしてきました。弁士は、斉藤信岩手県議。そして3月の市議選で市政復帰を目指す千田みつ子さんです。

 千田みつ子さんは2年前の県議選で19票差惜敗しましたが「奥州市の医療体制・特に産科医療の現状は看過できない」という強い思いを持ち市政復帰を目指します。奥州市内で安心して出産できる体制を作ること、そして奥州市総合水沢病院などの医療体制を確立することを実現するために市議会で働かせてほしいと訴え。また、県議時代に尽力した「簡易型河川監視カメラ」の設置など、防災体制の強化についても自治体の現場から取り組む決意を語られました。

 斉藤県議は、本来弁士を務める予定だった岩渕友参院議員が、総選挙対応で東北中を駆け回っているため、ピンチヒッターとして登場。共産党が今の政治で果たしている役割や、市政・県政・国政の連動について話し、「皆右へ右へ」の閉塞感を突破するためにも、比例東北の命綱である高橋ちづ子さんの議席奪還と、千田みつ子さんの市政復帰を呼びかけました。

 1月に急浮上したこの総選挙も、残すところあと1週間。立憲民主党などが自民党政治に歩み寄るような厳しい状況の中、ぶれない「左の勢力」を大きくしなければなりません。選挙区では日本共産党(無ければまたは社民党など)の候補者を。そして比例代表では「日本共産党」と、政党名を書いて広めていただくよう、心からお願いいたします。

現場の声を政治の吟味台に乗せる─岩淵友議員の水沢地区二者演説会。

 選挙戦に入ってからは裏方業務に徹してきましたが、今日は奥州市での演説会2箇所に帯同しました。この日は岩渕友参院議員が東北唯一の共産党国会議員として各地を歩き、前日の秋田の豪雪の中での訴えなど、現場で見てきたものを分かりやすく参加者に伝えていました。

 お話を聞いて改めて感じたのは、基礎自治体(市町村)で起きていることも、県政も、結局は国政と地続きでつながっていること。だからこそ、各ポジションで日本共産党が力をつけることが重要なのだと再確認。

 奥州市議の佐藤みゆきさんは、まもなく1期目を終えようとしています。自身の出産での苦労をきっかけに「この街で出産できない事態を何とかしたい」と立ち上がった方。公立助産所の存在を学び市に提案するなど市当局へ粘り強く働きかけている様子が話されました。

 別会場で瀬川貞清市議。1993年の衆院選以来、長年の候補者生活を経て2013年に初当選。3期12年の活動で、系統的な取り組みで多くの市民要求を実らせてきた実績があります。最近では補聴器購入費助成の問題など、暮らしに直結する課題に取り組んでいることが紹介されました。

 他にも江刺の千葉敦市議の集会もありましたが、残念ながら居住地の活動と重なり参加できませんでした。5人の奥州市議団のうち、菅原明さんが勇退されますが、千田みつ子さんを合わせ、再び5人の市議団を形成することが不可欠です。私は違う町の住人ではありますが、同じ働く仲間、市民の生活を良くしたいという思いは同じです。残りの期間も尽力してまいります。

総選挙2026始まる。日本共産党の活動にご注目ください。【総選挙2026】

記述日:1月28日

 ​同居家族が体調不良を起こしながら、通常の家事や仕事に加え活動を展開してきました。昨日は午前に北上市南部→和賀町、そして夕方に街中を回って流し宣伝は終わり。今日からも色々用事があって100何km走るかなという状態ですが、まずは活動の下支えがうまくできるよう努めます。

 ​一つ申し上げておくことがあります。私は人に恵まれて、色々な社会の中で生きていくことができました。私が情緒障害で特殊学級に入っていたことは時々触れてきましたが、どうしてもその出身というだけで言われのないいじめを受けることもありました。小学校のある程度の時期になるまでは、あまり語りたくもない「いじめ被害」に沈むこともありました。

 ​それでも、いじめる人間だけではないということで人を信頼することもでき、そこから人間との距離感をつかんで、ある程度社会に対応することができるようになりました。そういう経験をしている私にとっては、存在そのものを否定されて叩かれている人を黙って見ているわけにはいきません。それが不利になりやすい位置にいる人ならなおさらです。

 ​今、外国人差別やヘイトが行われていますが、今のいじめというのは「いじめていい理由」までこじつけて、逃げ道を塞いでがんじがらめにして重層的にかますやり口。「攻撃する理由があるから加害者が正しいんだよ」という理屈まで作ってしまう。

 ​だけども、そもそも考えれば、そういう「クソいじめ」を楽しむ人間が社会に余計な負荷をかけさせているわけです。外国人差別やヘイトに対しては余計なものをくっつけて差別へ持っていくことを許すな、という意味で、高橋千鶴子さんの指摘を載せます(拡大可)。

 過日の学習会で「SNSの発信の最近の傾向」というのも聞きましたが、どうもそれにまだ順応しきれなくて手法を模索しています。少し前に知人に原稿用紙1枚分(400字)の文章が「長い」と言われた時はショックでしたが、最近ではX(旧Twitter)の140文字が長いと言われたこともあって、その激しいギャップに戸惑いを。

 ​「入り口は広く、文章量は少なく、そこから誘導していければいい」というのも手法の一つですが、なんとか模索を継続していきます。それでも、表れた文章は見ていただきたいと考えております。しばらくはこちら方面の発信が多くなりますが、お付き合いよろしくお願いします。

1月27日、総選挙公示の夜に。【総選挙2026】

記述日:1月27日夜

 1月上旬に急に持ち上がった総選挙の話。あれよという間に話は進み、今日27日が公示の日となりました。

 総選挙になりそうだという空気になってから、私も相応に時間を取り、街中に出ては日本共産党の存在を知ってもらうための活動に腐心してきました。しかし、何度政治戦・選挙戦を経験しても「あれが足りなかった」と後悔する状態は続くものです。

 ​昨年夏以来、記事の制作が思うようにいかなくなっていましたが、技術発展の力もあって、ある程度の書く力を残すことはできています。そうでなかったら去年の夏の時点で私は折れていたかもしれません。少なくともブログの記述に関してはそういう状況でした。

 ​そんな折、今度は同居家族がコロナに感染してしまいました。私自身は陰性ですが、万が一のことを考えて人混みの中での活動を辞退している状態です。

 ​私が常々述べている左翼的・人権主義思考を社会から失わせないという意思表示。その種の意見がネット等に乗れば、あっという間に潰しにかかる様相がとにかく酷すぎる。先日も「湿布を保険で賄うな」と述べた国政予定候補者がその後辞退したことがありましたが、こうした社会保障そのものに対する攻撃も激しさを増しています。

 ​今回、高橋千鶴子さんの盛岡での訴えの一部を写真にして掲示しました。今は在日外国人に向けられている差別やヘイトが、「いつ自分の属性に向けられるか怖い」という声は、今の非強者の方々の恐れや怯えでもあります。

 ​だけども、いじめ加害者は遠慮しないんですよね。そういう声を「弱者こそ強者だ」という理屈で転倒させて追い詰めにかかる。人間の弱さは重々承知していましたが、理性を壊してしまうとそこまで辿り着くのかと、何だかなという思いでいます。

 日本共産党などが打ち出す社会的訴えについては引用という形で紹介し、私は社会のものの見方に関して触れていくことにします。お付き合いいただきありがとうございます。日本共産党の活動にご注目ください。