「超党派によるAV新法」形成…の過程で思い出した「トラウマ」。
ある問題で「これまでの壁を越えた画期的な法律」だから全会一致の賛成で成立してほしい、というご意見を見た。
当事者はそう思うものだから別にかまいませんが、この数日の動きで「ビリリ」とくるものがあった。「別の問題点も必要じゃないか」と異議を申し立てた勢力に、成立を目指していた側は「長年行ってきたんだからこれで成立させろ」と逆バネが働く形に。
その中で疑問に感じたのが、成立要求派の「法律案は全会一致での成立を願います」という一言。先週末の時点で…もうここまで来たらいいですか。「アダルトビデオ関係の法律案」ね。それは素案は示されて、その中身は確認したけど一旦各政党に持ち帰るという形をとったはずなんですよね。つまり、賛否は法律案を見て各党派が独自の立場を示す。
それをNHKはじめ報道機関は一斉に「その場にいた6政党は全部合意した」とみなし、政党機関紙が疑問点をあげたことをとらえて「〜〜党はこれに賛成しないのか」と詰り、「6年審議した、誰それも関わった…だから賛成しようよ」という声が一気に大きくなった。普段は絶対に〜〜党とは組まないと言っている維新の足立某までもそれに加わり。
何かね、俺が嫌だった「野党国政候補の一本化強要論」に通ずるものが その場にあった。
法案の中身とは別に、この法案には俺は賛成の意思を示すことはできない。間違っているのは重々承知だが、「強要」で痛い目にあった人間としては、「はいはいそうです」か頷けなくなった。
正直、また一つ何かが壊された気がする。
それでも諦めてはいけない。他の人に言うより、自分にいいきかせてる言葉です。
3・11にも、メーデーにも何も書けなかったわけ
活動の必要性、重要性は認識し、不利な状況にあるなら好位置にくるまで踏ん張り続けることが肝心なのはわかっていますが、自分自身から記事を書いていく、という力が激しく減退しています。
生きるのに精一杯なせいもありますが…これ以上は、言葉に出させないでください。
青い空が青い空に見えない状態では、何を書いても空疎。場から降りない、それだけです。
人間の“業”が目を曇らせ、辛い結果を呼び寄せる―山梨で見た光景と知床の海難事故
※当記事はFacebook連携記事です。
(1)少し前に「図書館行ったけどパーフェクト食らったわはは」てな記事を書きましたが、その箇所は山梨県。各々に時間制限があったので、山梨県立、甲府中央、富士吉田市(かつては県立)と回りましたが、パーフェクト達成したのは富士吉田。しかも社会人野球で使われる機会の多い富士山麓球場の撮影も猛烈な霧で阻まれる始末。はじめての富士吉田市はにがーい思い出になりました。
(2)その後甲府中央→山梨県立と回って、山梨でまるっきり、とはならずに帰ってきました。帰宅は国道411線・青梅街道を利用。行きは国道4号線で国会図書館→国道20号線で甲府(富士吉田は行き139号、帰り137号)行き。いやあ、厳しい道中でしたね。丹波山村に入るまではずっと登坂で、鉄道でいうスイッチバック形式、あるいは高田のループ橋形式を何ヵ所も何ヵ所も登り、丹波山の道の駅でへたばりました。
(3)でも、疲れはしますがこのくらいはどうということはないのですよ。それより、途中で見かけた「何でこんな山奥に“産業廃棄物”が?」というのを見かけまして。それまでは自然たっぷりの光景から、いきなり人間の“業”をこれでもか、と突きつけられて。なんかぞわぞわするものをおぼえました。丹波山で力尽きたのは半分以上そのショックで。
(4)人間の“業”といえば、知床の船舶事故。「利潤第一主義」が無理な運行をさせたことが生み出したのか、と思いましたが、別な面から言えば「人間が自然を圧せるなどと思うな」。技術は発展し、船の強度も増して、危険性は少なくなったのでしょうが、それでも「その場」に至ったときには自然の容赦無さ+人間の無力さを思い知らされます。
「人間の弱さ踏まえて動きなされ」は、ロシア・プーチン政権の行動も、知床の件も、です。
おつきあいいただきありがとうございました。
ロシア政権による破壊行為はじまって7週間。岩手からも「侵略やめろ」意思表示。
Facebookとの連携記事でなければ、ブログ記述をする時間をつくれなくなりました。
ロシアの侵略行為が始まって40日以上過ぎました。様々な惨状が映し出され、それに対して色々な目線で語られています。大きく根っこに置くべきところは、「権力者の立ち振舞いによって市民の日々の生活が壊され、更に命や個々人の尊厳を奪われる行為もされる。まずはそのことに対して疑問とか怒りを表したい」。それを抜きにしてどこそこが悪いというのは愚行をしている勢力の擁護にしかならないです。
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日曜日に北上市で行われた「ロシアの侵略に抗議する集会」に出てきました。数多くの団体・個人からの発言がありましたが、その中で特に印象深かったのが「戦争は結局個人個人の暮らしを潰してしまう。直接の戦地にいる人だけでなく、その戦争の影響によってその周りにいる国々の人も軍事費などで生きる環境が窮屈になる」。
私も拙いながら発言させていただきました。要旨以下。
「一人一人の人権を尊重する方向での社会の発展が、私のような様々至らぬ者でも社会に関われる基になってきた。しかし権力強者による戦争・侵略行為の愚行により、そこに生きる人々の生きる権利が失われてる。それがどうにも見過ごせない。この地球にいる様々な立ち位置・ポジションで気づいた人たちが声を上げて、愚行を許さない社会を作ると、そういう意味でロシアの侵略戦争に反対し、直ちに引っ込めと申し上げます」。
原稿持たないで話したので、上記記述で合ってるかどうか自信がありませんが(笑)権力強者が始めてしまった戦争を終わらせるには、それを上回る熱意を持って社会に働きかけ、意思をぶつけていく。そういう意味で諦め悪く意思をを発し続けていきます。
櫛の歯が抜けるように―図書館の光景から。【FBと共通】
===(1)===
社会を充実したものにするための設備投資は数多くなされてきました。図書館や博物館の整備というのもその一つではないでしょうか。
私のしている野球の調べもの。思っただけでは先に進めるわけでなく、そういう意味では近くにある北上市中央図書館に 毎日新聞の縮刷版が1950年分から置いてあったのは、基礎的な調査をする上で貴重なものがありました。ここでの調査の先に各県図書館なり国会図書館を活用したそれができて充実したものになりました。
===(2)===
ところが。
先日図書館から電話がかかってきて「毎日と読売の縮刷版は除籍することになりました」とのこと。要は図書館に置かなくなるということ。多く使っていた人間らしいのでわざわざ連絡をよこしていただいたわけですが、複雑な心境になりましたね。
各紙あっての多角的な見方というのもそうですが、もうひとつ、各新聞社にある主催行事の存在も。スポーツで言いますと、朝日は高校野球、読売は少年サッカー、そして毎日は社会人野球、てな具合に。そのことを考えると 縮刷版が朝日ひとつだけというのは…。
===(3)===
そこで、奥州市水沢図書館に1989年からのがあったはずだと思ったら、こちらも最近10年間のみの保存となったようです。岩手県中見ると、毎日縮刷版を置いてあるのは県立、久慈、種市の三つのみ。私が行ける箇所、という意味では、事実上県立図書館のみです。これまで身近な所で見られたのが、盛岡までガソリン・駐車場料金使って、手間暇かけなければ見ることができなくなった。基礎自治体の図書館がそれを保たせるのが大変だというのは分かりますが、それにしても、と複雑な気分です。
===(4)===
自分は図書館の部分について触れましたが、日本社会の中で「社会を支えてきた様々なもの」が、櫛の歯抜けるようにカツカツカツカツと抜けてきた。他の“残っていた”部分使って補ってきた箇所もあるのでしょうが、その補える部分も段々なくなって、耐え切れなくなってパターンと壊れてしまう。そういう場面が増えてないかなと思わされます。
===(5)===
更に。県立図書館で調べ物をしていた時に…朝日と読売はそれぞれパソコンのデータベースがありましたが、毎日新聞のそれは北隣が青森県立図書館、南隣が埼玉県立久喜図書館(! 少し前は那須塩原市で見ることができましたが廃止)まで行かないとありません。(人の出入りに制限ある大学図書館は除く)岩手県立でも毎日新聞データベースおいてくれないかなとは思いますが、これとて月数万円かかるものであるのは承知しています。
今日の拙稿は(も)社会にある部分の断面として見ていただければと思います。おつきあいいただきありがとうございました。
当方ブログ記述の減少について。
2005年からSNSを書き続けていますが、記事を作る環境があって尚、記述の頻度が激減しています。2009年から3年程度、環境がなくて記事を書くことができなかった期間はありましたが、これほど少なくなっているのははじめてになります。
昨年11月以降、“残り時間”を考えざるを得ない状況ができ、その時間内に「自分しかできないこと」をひとまず形にしておきたいと思い、自分自身の時間はそれにずったりあてているので、当方でメッセージを発することができません。
念のために。私は社会活動からは離れていません。昨年総選挙とその瞬間に巻き起こった逆風はこたえましたが、折れてほしいと願う輩のいうことは聞いてあげません。
何らかの方法は考えますが、自分も1日24時間しか持ってないので「自分にできることに傾注する」で生きていきます。新記事現れたら見てやってください。
ロシアのウクライナ侵略。これを「破綻の一歩め」にするな。打開を。
公聴会私物化からの共産議員懲罰―物言えぬ社会につながる維新の行動許すな。
国会の公聴会。マニア言われている人は、「広い立場からそれぞれなりの公益化に落としこんだを意見が聞ける」。国会言や、普段激突のシーンが多く扱われますが、基本的には昔は6割強、今でも4割少しぐらいは全会一致で賛成法案が成立する場面があります。
ただ、6割強が4割少しに落ちた、いうことは、同意できる案件が減ってきたということ。国会で与党・付随勢力が「自身のことしか考えなくなった」証明と言えます。過日の大阪維新の会推薦の参考人として登場した原英史の発言、要は「野党に批判するな」と批判=誹謗中傷とし、野党に物を言えなくすることが「国会改革だ」、と。そういう趣旨で話をしていました。
自らも「野党の追及で嫌な思いされた」のか知りませんが、なにがどうあろうが、原英史のしたことは「単なる自分の意見の開陳」でしかなく、宮本徹議員からその公聴会の目的を諭されたのですが、俗な言葉で言えば逆ギレ起こしまして懲罰動議を提出。「一般人に対して失礼な言葉を吐いた」というのが理由だそうですが、あれのどこが誹謗中傷でひどい言葉なのか全然わかりません。
ただ、懲罰動議出されたということは馬鹿にはできない。この懲罰動議が賛成させられると出席停止とか警告とか様々ありますが、可決させられたらどんな不当なものでも「議会自治のためにやらなければならない」性質をもちまして。それが不当と異議を申し立てると、更なる懲罰を課される理由にさせられ、最悪議会追放させられる危険性があります。
戦後、日本の国会で除名させられた経験と言や川上貫一さん。発言単体で除名に至ったわけではなく、意見に対しての懲罰→それをのまなかったためにさらなる懲罰課して除名処分にいたりました。地方議会でも似たような事例はあり、そういう意味で、最近の維新がリベラル派・共産党などに対して向けている攻撃、そのどれもが真正面から戦ってはねのけないとならないものです。
でないと、非多数者の側は何も言うことはできなくなる。思想信条の自由が守られるかどうか、そういう場面だ、といっても過言ではないです。何とか、こらえましょう。