つなげ“希”動力-伊東勉のストラグル日記。

17年9月移籍、社会活動中心の記事を記していきます。

沖縄県知事選の玉城デニー氏はじめ「市民生活から政治をつくる」人を政治の任に。 --------------

 今年に入ってから3月の奥州市、7月の花巻市と自分の居住地以外の選挙に関する記述をしてきました。今の資本主義社会における欠点、短所を補う立場で当面の行動をしている人間としては、どこであろうが同じ課題で取り組むならば協力するという意志で行動してきました。

 岩手県内ではまもなく遠野市でもそういう活動をしなければならないと思っていますが、目前に迫っている #沖縄県 の地方選挙も重要な社会活動の戦いとなっています。

 地理的要因で他の都道府県にはない課題が重なっている、特にアメリカ軍基地の問題による市民生活の抑圧の部分で、沖縄を「防波堤」にしようとする官邸・保守勢力の企みをそのまま通すわけにはいきません。同じ防波堤でも戦争を防ぐ防波堤にする、そして市民生活にも向き合ってきた玉城デニー知事を私は推すものです。

 

 少し前に記事化した「関東大震災時の朝鮮人らの虐殺案件を『なかったこと』にしようとする」行為の抵抗に向けていたので、沖縄に関する記述が多くできませんでした。

 

 もう一つの主題テーマの記事は明日の朝までに書きます。

中道改革連合の破綻と「どっちもどっち」の弊害。

記述日:9月10日
1️⃣ 今年の1月に結成されたばかりの中道・改革連合が事実上解散状態に陥りました。正直、それまでの経緯が全く異なる2つの集団が1つの勢力を作ろうとする割にはその作り方がズサンで、それぞれの組織の力を積み上げる努力が全く見えませんでした。しばらくの行動を見ていると「機能不全」になるんだろうなとは思いましたが、これほど早くに壊れるとは思いませんでした。
 公明党勢力による野党壊しの一端か、とも思われていましたがもはやどうでもいい。自分が関与しない勢力の未来に関してまでどうこう言える気力はありません。
2️⃣ それでも中道とか中庸という言葉に不信感があるのは事実で、SNSのプロフ紹介を見ると「右でも左でもない」とか「自分は中立だ」という言葉をもって、多数派にいる勢力の意図を押し付けようとしていることに不信を持ちながら対峙していました。それまで政治に関心を持たない人が、様々な立場を眺め見て物事を判断しようとするのとは別の話と考えます。
3️⃣ 中庸の見方⋯どっちもどっちという形で行おうとすると、その結果社会で重用されるのはどの意見かというと、比較的多数の意思が通りやすくなる。片方の力に10があり、もう一つの方には5しかない、それでどっちもどっちだと2・5ずつ乗せたとしても、12・5対7・5で、少なくとも多数者意思の優位は変わらないわけでしょ。
 中庸だの中道だのどっちもどっちを語る人は、結局は今の多数者の力を変えようとしないし、変えようとする人の力を壊しにかかっているわけだから、現状を語れば、それらの言葉を使って行おうとしていることは非多数者への力の削ぎ落としでしかないじゃないですか。
4️⃣ そういう方向でずっと既定付けられてきた世論形成の結果、右翼的・反人権的思考がはびこり、そうでない立ち位置の人の意見が単語を発せられただけでも 顧みられない状態となり、ひとつの意思としても扱われていない状況が生まれました。憲法擁護をはじめとした護憲の法制が、いわゆる右翼の思うがままにはさせない状態を保っているので、そこに寄りかかってなんとか、左翼的とまではいかなくても人権主義的な思考回路は保たせる取り組みはしていきます。
5️⃣ 「人権、人権という思考が窮屈さを生む」とか、「人権思考で俺たちが不利になるような新しい人権が生まれて嫌になる」などという言われ方もしますが、一体誰が新しい人権で、今までの人権に頼っていた人の利権などを踏みましたかね。
 ドイツで極右勢力が伸長したことをもって、既存の人権派や労働者主義の政党が「実は労働者の方を向いていない」という風な語られ方をしますが、それは今まで近くにいた人を踏んでるわけでもない。『新しい子どもができたから置いてけぼりにされるのではないかと嫉妬(やきもち)を焼く』行為は子どもがするのであれば別に何とも思いませんが、いい年した大人がその思考回路で行動するのは見苦しいとしか言わざるを得ません、ということを申し上げてこの一文を終わります。

9月1日―自然の力と人間の脆さから。関東大震災103年を迎えて。

記述日:9月1日

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1️⃣ 関東大震災から103年。

 首都東京で起きた震災は、ちょうど昼時で昼食のために火を使う人も多かったことから火災が頻発し、今の横網町公園にあった避難場所では約4万人が火災旋風によってなくなるという事態に。また土砂崩れや津波などで亡くなられた人も多かったと聞きます。

 時代が過ぎて建物の強度が増し、津波や土砂崩れの防御などが進んできましたが、自然の強大なエネルギーの前には無力さを見せつけられる場面もあり、特に阪神、東日本、そして先の熊本地震でも「人間は死地に追いやられてしまえば脆いもの」というのを突きつけられています。

 これに気候変動が拍車をかけている場面もあり、熊本地震でも避難された人が高温で苦しむ様子も見えましたが、更にチベット・ネパールで起きた土砂崩れは、氷河が崩れた影響で映し出された土石流の様子には「これでどうやったら助かったらいいんだ」という悔しさを見せつけられるものとなっています。

 何がどうであろうが命を助けられること、助かった命を災害の余波の影響で失わせないってことは追求し、取り組み続けなければならないと、無力感に押しつぶされてる暇はないんだというのを改めて誓うことにします。

 それが「あの日」の敵討ちだからです。

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2️⃣ 大震災とは別に人間の弱さが引き起こした「朝鮮人など少数者に対する攻撃、虐殺事件」について。

 私が特にこの10年、危機感を持って「反差別・ヘイトの行動・意思表示」をしてきたのは、自分自身がいじめられっ子だった経験もあり、多数者による囲い込みからの凌辱の恐ろしさを身をもって知っているから、どうしてもそれを軽く見るような風潮に我慢ができなかったという思いがあります。

 震災での虐殺については、民間の立場で災害の研究・歴史を探ることのできた人たちが記録をしてきましたが、それを公的なものとは認めずに

 政府は「公的記録はない」

 東京都知事の小池百合子は虐殺被害者への追悼文を送らない

 そして社会の部分では差別・偏見が蔓延る

 そういう状態を10年続けさせた結果起きたことは、「そういう虐殺事件はなかったことにしよう」とする動きを強めました。

 「追悼文を送らない」に続いて、横網町公園にある追悼碑を撤去させようという動きもそこかしこに見え、その尖兵となる右翼グループ「そよ風」の暗躍こそ止めていますが、正直この旗を掲げ続けているのはしんどいです。

 しんどいけども、歩みを止めてしまえば人間の脆さがもたらす虐殺・災害がまた跋扈する、それが嫌だからしつこく粘り強く行動するわけです。

 

3️⃣ 9月1日に「十五円五十銭」を叩き込む悪意。

 その視点を持ち続けて行動を…と思ったところにとんでもない出来事が起きてしまいました。

 千葉県市川市の大韓民団に、カミソリの歯と「15円50銭」が入った封筒が届けられた、と。

 千葉県ではかつて朝鮮総連が襲撃を受け、留守番をしていた人が殺害される1998年の事件もありました。嫌韓の空気のままに憎悪だけが鬱屈する事態が続いていましたが、それはとうとう韓国人・中国人にとどまらず、クルド人やベトナム人にまで降りかかる事態に。

 警察に政治までが同調し、日本人ではない人が肩身の狭くなる状態を作り出す、権力者の態度次第で胸三寸の「“不法”滞在」理由に日本社会から放り出される事態が続いている中で起きたこの事件。このまま放っとき、何か悲惨なことが起きたら、その歪みが少数者に降りかかる/命すら奪われてしまう危険性が現実のものとなりかねない、そういう危うさを感じます。

 

 「人間の弱さを舐めるな」

 「人間は脆いことを承知でこういう外道の誘いに乗らないでくれ」

 

 以上、強く願うものです。(了)

8月前半の報告 平和市民のつどいで発せられたことばをかみしめて

記述日:8月16日

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 ここしばらく、SNSの制作を控えていました。

 お盆(8月第1週)の様々あった行事から、社会人野球の観戦、そして帰宅後の家の所用などが相次いだ中で、気を取られての転倒事故も重なりました。

 その一端は数日前に投稿した写真や動画で記しましたが、改めて個別に記していきます。

 まずは8月6日に行われた「北上市民平和のつどい」に参加してきました。1986年に第1回が開催されて以来、北上の革新勢力はじめ「被爆被害を二度と繰り返さない」と意思表示する人々の集まりとして、長年この行事が行われ続けています。私自身も労働組合や人づてのご縁もあり、この会の開催に協力してきました。

 今年は会場となっている「詩歌の森公園」の一角に、ノーベル平和賞受賞記念の記念碑が建てられることとなり、この模様は岩手めんこいテレビで報じられました。

 「平和の声」を上げれば、すぐに「現実を見ろ」という声が聞こえてきます。しかし、逆にそういう声こそが「戦争することを良しとしない」「戦争を政治の選択肢から除外して、武力以外のやり方で戦争のない社会を地域にもたらそう」という意思表示になってきたのもまた事実です。

 きな臭い動きが起きていますが、それぞれの原因を探ると、各国の権力層が我がまま放題に振る舞っているのが原因と判断せざるを得ません。自分たちの生活や現場の観点から言えば、戦争なんて邪魔でしかないのです。

 この日発言した中学生・高校生たちの不戦を目指す言葉、率直な思いを発言したものとして、非常に貴重なものとなりました。

 

 先ほど触れた厳しい状況下ではありますが、粘り強く「戦争以外の選択肢で社会を運営しろ」ということを社会に言い続け、示し続けていきたいと考えております。

7月28日熊本地震…「権力者」「憎悪・ヘイト」、チェックしておかなければならないことは

記述日:7月30日

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 2026年7月28日午後4時27分に起きた熊本の地震。伝えられているだけでも少なくない影響が出ており、特にイオンモール熊本で起きた爆発事故は相当数の犠牲を生む危険性もあるという報道もなされています。今はただ、被害に遭われた方たちの救出を祈るばかりです。

 1995年の阪神、2011年の東日本、そして2016年の熊本地震と、日本は天変地異や地震の変動が起きやすい立地です。当然、犠牲者を出したくないという思いで様々な政策あるいは技術的発展がなされてきましたが、それでも犠牲者の出ない災害というものはありません。様々な技術発展などで犠牲者の人数は少なくはなっていますが、それでも一旦窮地に追いやられる状況になれば、人間はもろいというのを改めて突きつけられるものとなっています。

 私は反自民・反高市政権という立場で社会運動に関わっているものですが、さすがに災害問題などでは、ここではバカな真似はしないだろうという信頼は持っています。それすらできないのであれば、本当に「そこをどけ」と言わざるを得ません。(8月7日追記:そうなってしまったことに怒りを覚えます)

 もう一つの懸念事項は、在日外国人あるいは社会的マイノリティ(非多数派・Twitter等の属性)の方々に対する憎悪の撒き散らしです。これまでは1923年の関東大震災での過ちを認識している人が多くいて、震災の時にそういう属性を持つ人に対する直接的な攻撃は避けられていました。

 ただ、ここ数年起きている差別的ヘイトの横行と正当化は「そういう愚行はしてはならない」という認識をぶち壊すものとなっています。現に、年を追うごとにそういう言説というものが力を持って暴れ回っている。そういう状況を考えると、ヘイトや差別のばらまきに関しては、より強い姿勢で阻止することが必要ではないかと思わされる次第です。

 地震災害などは、それまでの社会の中にある不条理や弱点をさらに悪化した形で露呈させることが大いにあります。そういう意味で、その緩和を目指し、社会的弱者の立ち位置からの震災対応も進められ、近年では「災害女性学」という分野の研究も進められたりしています。先の花巻市議選ではそういった進歩を無視し、「女は男の後ろを歩け」的な感覚で物を語る候補者もいましたが、まあ、170票程度しか取れずに落選したようです。

 ただ、社会への働きかけ方によっては、こういうものが力を持ってしまう危険性もあります。そういう意味で、非常時の時こそ人間は試されるという観点から、こうした社会的不条理を解消する方向にこそ力学が働いてほしいと願い、行動するものです。

2026年熊本地震/7月28・29日の記述。

記述日:7月29日

① 2026年7月28日午後4時27分に起きた熊本の地震。伝えられているだけでも少なくない影響が出ており、特にイオンモール熊本で起きた爆発事故は相当数の犠牲を生む危険性もあるという報道もなされています。今はただ、被害に遭われた方たちの救出を祈るばかりです。

② 1995年の阪神、2011年の東日本、そして2016年熊本地震と、日本は天変地異や地震・変動が起きやすい立地です。当然、犠牲者を出したくないという思いで様々な政策あるいは技術的発展がなされてきましたが、それでも犠牲者の出ない災害というものはありません。

 様々な技術発展などで犠牲者の人数は少なくはなっていますが、それでも一旦窮地に追いやられる状況になれば、人間はもろいというのを改めて突きつけられるものとなっています。

 私は反自民・反高市政権という立場で社会運動に関わっているものですが、さすがに災害問題などではバカな真似はしないだろうという「信頼」は持っています。

 それすらできないのであれば、本当に「そこをどけ」と言わざるを得ません。

③ もう一つの懸念事項は在日外国人あるいは社会的マイノリティ(非多数派の属性)の方々に対する憎悪の撒き散らし。これまでは1923年関東大震災での過ちを認識している人が多くいて、震災の時にそういう属性を持つ人に対する直接的な攻撃は避けられていました。

 ただ、ここ数年起きている差別的ヘイトの横行と正当化は、そういう愚行はしてはならないという認識をぶち壊すものとなっています。現に、年を追うごとにそういう言説というものが力を持って暴れ回っている。そういう状況を考えると、ヘイトや差別のばらまきに関しては、より強い姿勢で阻止することが必要ではないかと思わされる次第です。

④ 地震災害などは、それまでの社会の中にある不条理や弱点をさらに悪化した形で露呈させることがあります。そういう意味で、その緩和を目指し、社会的弱者の立ち位置からの震災対応も進められ、近年では「災害女性学」という分野の研究も進められたりしています。

 先の花巻市議選ではそういった進歩を無視し「女は男の後ろを歩け」的な感覚で物を語る候補者もいましたが、まあ、170票程度しか取れずに落選したようです。

 ただ、社会への働きかけ方によっては、こういうものが力を持ってしまう危険性もあります。そういう意味で、非常時の時こそ人間は試されるという観点から、こうした社会的不条理を解消する方向にこそ力学が働いてほしいと願い、行動するものです。

花巻市議会議員選挙2026 日本共産党の桜井はじめ、高橋こうき両氏当選。

www.instagram.com

 動画記事でも触れましたが、26日に投開票が行われた花巻市議会議員選挙で、日本共産党の桜井はじめ、高橋こうき両氏が当選したことをこの記事でお知らせします。最近はこのような「V(ビデオ)ログ」のような記述が多くなっていますがどうかご了承ください。

 

花巻市議選2026 高橋こうき・桜井はじめ両氏の当選で「収奪主義とたたかえる」議員を議会に。

www.instagram.com

花巻市議選についてはインスタ動画と以下「インスタ台本」記事で記述します。

↓↓

世界で1%の金持ちが 世界の富の4割保有

一方で

世界の約半数の人々が割り当てられている富は

わずか数パーセント 以下

 

この格差 不平等

なんなら不条理がもたらす

貧困と苦しい生活

 

それが嫌で

 

私はいわゆる

「左側の社会活動」に努めています

 

要求実現を果たそうと思えば

意を同じにする人を

議会に送り出すことが必要

 

それが故に

各地で行われる地方選挙にも

協力しています

 

7月26日投開票の

花巻市議選

私はこの2人の候補者を

推し 運動しています。

 

地方議員歴約40年

多数が汚職にまみれた議会を

立て直した経験を持つ

桜井はじめさん

 

旧花巻市議20年

その後も花巻市政

国政で運動してきた

高橋こうきさん

 

この2人が述べたことは

「自分たちの子孫に

高市政権が行おうと

している悪政を

引き継がせないため

たたかうことにした」

という決意。

 

長年の社会活動で試されずみの

2人の候補者を

花巻市政で働かせたいと

考え行動しています。

 

花巻市の皆さんには

ぜひ高橋こうき/桜井はじめを選択肢に。

 

それ以外の方々は

「こういう姿勢で社会活動している」ことを知っていただければ 幸いです。

 

反共産党がはびこる社会で、「生き残ろう」と思う本当の道筋とは。

記述日:7月4日

1️⃣ 左側からの視点で社会活動をやっている人間として、その主軸となる日本共産党に対する攻撃は、常に向き合わざるを得ないテーマであります。そして、その反共産党の攻撃が激化したと感じさせられたのは、2022年の安倍晋三氏銃撃事件がきっかけとなった統一教会の社会汚染が明るみに出た頃です。どんな勢力であっても生き残ろうとするのは当たり前の感覚ですが、とはいえ日本国憲法で保障された施策をことごとく捨て去ろうとし、「市民・人民・労働者は権力者の使い勝手のいいコマになれ」という趣旨のやり口を取る勢力は、無力化しなければならないとも考えています。

 心からの反共産党、あるいは左側から見た社会活動に対する攻撃がこの頃からどす黒くなりました。それまでは、いくら自民党の方々でも踏まえなければならない「基本的人権」や「権力の暴走抑止」といった手段でさえ、「左翼的だ」とレッテルが貼られ、「左翼的なものは全部なくしてしまえ」という理屈で物事を片付けようとする雑な考え方の方々も増えてきました。現状の不満を「日本国憲法による権力者の制限が悪い」と捉える人たちが、これを機に日本国憲法の持っていた人権主義的思考そのものをぶち壊しにかかっている様子。目の前の喝采のために、自らの貯金を食いつぶしてしまう様子を見て「なんだかな」という思いでいっぱいです。

 残念ながら、それに抵抗できる勢力が少なくなってしまいました。「ある程度、自民党などの権力者の許す範囲の中で物事を考え、行動していこう」という考えが幅を利かすようになり、これまでならある程度の抵抗をしてきた野党が、その抵抗をやめ、言いなりにさせられている場面も多々見られます。

2️⃣ それは、この世界に存在する以上、日本共産党も全く無縁とはならない状況になってしまうんだろうなと思っていたところに、反共産党の立場の方々による逃走、放棄、女子会用のない建設的な批判が来るようになります。最近明らかになったような「新しい人権」に関しては、「それまで長く続けてきた人権活動とは対立するものだから、新しい人権は一歩引け」とか、「多くの有権者に受けるような活動をしなければならないから、少し強すぎる活動はやめろ」とか、そういう風な言い方ややり方をする人が、特にここ1年半続いていました。

 対象が広いから、それなりの言い方や行動をしろ、というのは分からないではありませんが、一方で社会全体がそういう左翼思考・人権思考に対して萎縮してしまっている状況の中で、それを発する主体の方が縮こまってどうするの、という思いはしています。そういう意味で「お行儀よくしろ」と抑え込む傾向を、私は自分自身の行動としてはお行儀よくしているのかもしれませんが、全体に強いるのはどうなのかと思っています。

3️⃣ ただ、ここ数日、世の中の空気に押されている傾向があるなと思わされる場面を見かけました。こういうことはありえてしまうんだなという覚悟は持っていましたが、それが実際に現場に現れるとしんどいものはありますね。まあ社会活動全体もそうですが、明らかになった欠点というかおかしいところは直しつつ、行動していくしかないのかと。ただ、それだけを考えることにします。

4️⃣ 正直、その反共産党の立場の方々には障るものがありますが、彼らはそれ以上の社会に働く行動を全面的に…普段はしているのでしょうけど、SNSではそれをネガティブに捉えるような意見しか言っていません。「そのことは考え直した方がいいのではないですか」とは申し上げます。あと、それ以上の違いに関しては、行動していく中で調整するものだとだけ考えることにします。

 

 ひとまずそんなところですかね。要は「目的を見失うな」ってことです。もうすでに大きい組織としては日本共産党が最後の砦となっている物事があります。何でもかんでもうまく拾えるわけじゃない、何でもかんでもうまくいくわけじゃないというのは分かっていますが、それでもその最後の砦に立たなきゃならないところが、それを放棄してどうするんですかという思いがあります。

 まあそういうわけで、ここまでダラダラと語ってきましたが、そのことを改めて言葉にして今回のブログ記事を終わります。お付き合いありがとうございます。

しばらく社会活動方面の記述を控えていた、もう一つの理由(6月18日時点)。

記述日:6月18日

 いわゆる「左翼的人権主義」に立つ人たちの行動スタイルについての議論が、少し加熱・暴走気味になっていると感じてます。活発な議論そのものはなされるべきですし、それが活動の前進に役立つのであればやぶさかではありません。しかし、「こんなところまで突くのか」という議論が立て続けに起きると、食傷気味になるというか、「どう動いても誰かを叩いてしまう」ような感覚に陥り、身動きが取れなくなってしまう。

 現在の社会活動の中では、左翼・人権的な観点から語ることが貶められるのが現況。それを打開するには、積極的に行動に踏み出すことが不可欠という観点で、路上で打って出ている方々の行動は尊く、貴重なものであると信じています。

 「反共産党気質」を持つ方々、いわゆる「こんな連中」と言われる人々に対して厳しい目線を向けてきた姿勢は何ら変わるものではありません。ただ「諍い」相次ぐ事態に、思考回路がショートしそうになる部分もあります。昨年来、これまで経験したことのない攻撃を浴びせられ続けており、パソコンに大量のデータを一気に送り込んでシステムをダウンさせる攻撃のような感覚に陥っています。

 2010年代前半から安倍晋三氏を先頭にした自民党が進めてきたのは、情報戦の陣地取りでした。「いかに効率よく相手を叩き壊すか」という手段で世論形成がなされてきました(自民党ネットサポーターズクラブの行動ですね)。そのチームが現在どのような動きをしているのかは知る由もありませんが、一連の揺るがせぬ攻撃、過剰な攻撃によって社会を壊すのであれば、「少し待てよ」と言いたくなります。

 また、それをきっかけに主張を引っ込め、「現在の多数派に寄らなければならない」と考えるのも思考回路の一つでしょう。しかし、その路線が激しすぎると感じますし、離脱した松竹伸之氏一派には絶対に乗れない、乗りたくない。自分の必要だと思っている物事を捨てて迎合するやり口には「ふざけるな」という思いを抱いています。

 いろいろとめちゃくちゃに書いてきましたが、ここまで書いてきた理由から、思考回路が相当追い詰められており、実際の生活を維持するだけで精一杯という状況にあります。今、記録を取り戻せれば元気に何か書けるかもしれませんが、そういう状況に陥りやすいということをご認識いただき、今後もお付き合いいただければ幸いです。