記述日:9月1日

1️⃣ 関東大震災から103年。
首都東京で起きた震災は、ちょうど昼時で昼食のために火を使う人も多かったことから火災が頻発し、今の横網町公園にあった避難場所では約4万人が火災旋風によってなくなるという事態に。また土砂崩れや津波などで亡くなられた人も多かったと聞きます。
時代が過ぎて建物の強度が増し、津波や土砂崩れの防御などが進んできましたが、自然の強大なエネルギーの前には無力さを見せつけられる場面もあり、特に阪神、東日本、そして先の熊本地震でも「人間は死地に追いやられてしまえば脆いもの」というのを突きつけられています。
これに気候変動が拍車をかけている場面もあり、熊本地震でも避難された人が高温で苦しむ様子も見えましたが、更にチベット・ネパールで起きた土砂崩れは、氷河が崩れた影響で映し出された土石流の様子には「これでどうやったら助かったらいいんだ」という悔しさを見せつけられるものとなっています。
何がどうであろうが命を助けられること、助かった命を災害の余波の影響で失わせないってことは追求し、取り組み続けなければならないと、無力感に押しつぶされてる暇はないんだというのを改めて誓うことにします。
それが「あの日」の敵討ちだからです。

2️⃣ 大震災とは別に人間の弱さが引き起こした「朝鮮人など少数者に対する攻撃、虐殺事件」について。
私が特にこの10年、危機感を持って「反差別・ヘイトの行動・意思表示」をしてきたのは、自分自身がいじめられっ子だった経験もあり、多数者による囲い込みからの凌辱の恐ろしさを身をもって知っているから、どうしてもそれを軽く見るような風潮に我慢ができなかったという思いがあります。
震災での虐殺については、民間の立場で災害の研究・歴史を探ることのできた人たちが記録をしてきましたが、それを公的なものとは認めずに
政府は「公的記録はない」
東京都知事の小池百合子は虐殺被害者への追悼文を送らない
そして社会の部分では差別・偏見が蔓延る
そういう状態を10年続けさせた結果起きたことは、「そういう虐殺事件はなかったことにしよう」とする動きを強めました。
「追悼文を送らない」に続いて、横網町公園にある追悼碑を撤去させようという動きもそこかしこに見え、その尖兵となる右翼グループ「そよ風」の暗躍こそ止めていますが、正直この旗を掲げ続けているのはしんどいです。
しんどいけども、歩みを止めてしまえば人間の脆さがもたらす虐殺・災害がまた跋扈する、それが嫌だからしつこく粘り強く行動するわけです。
3️⃣ 9月1日に「十五円五十銭」を叩き込む悪意。
その視点を持ち続けて行動を…と思ったところにとんでもない出来事が起きてしまいました。
千葉県市川市の大韓民団に、カミソリの歯と「15円50銭」が入った封筒が届けられた、と。
千葉県ではかつて朝鮮総連が襲撃を受け、留守番をしていた人が殺害される1998年の事件もありました。嫌韓の空気のままに憎悪だけが鬱屈する事態が続いていましたが、それはとうとう韓国人・中国人にとどまらず、クルド人やベトナム人にまで降りかかる事態に。
警察に政治までが同調し、日本人ではない人が肩身の狭くなる状態を作り出す、権力者の態度次第で胸三寸の「“不法”滞在」理由に日本社会から放り出される事態が続いている中で起きたこの事件。このまま放っとき、何か悲惨なことが起きたら、その歪みが少数者に降りかかる/命すら奪われてしまう危険性が現実のものとなりかねない、そういう危うさを感じます。
「人間の弱さを舐めるな」
「人間は脆いことを承知でこういう外道の誘いに乗らないでくれ」
以上、強く願うものです。(了)