ほらほらいいじゃん、嫌なこと忘れて気持ちよく生きよう―対象者を踏みにじりながら“ポジティブ思考”を押しつける。対象者の置かれている状態を無視して玩ぶ行為を正当化する行為でしかないですよ。
ああそうですね、何について語っているか。ホームレス状態になった人、それで必要上身につけざるを得なかった技術を見て「異文化」と呼び、批判されると開き直り、実情に向き合う資料を紹介すれば逆ギレ起こす行為を目の当たりにしまして。なんと言いますか、無邪気に悪意のある行動をするってやつですか。文頭に書いたような感じで。
更には「何が悪い」「考える入り口になる」と擁護する方も居られますが、その入り口で侮蔑的な、あるいは高みから見下ろすような目線で見るよう誘導しておいて「何が悪い」もないでしょう。「差別と言う方が差別」に至っては本末転倒の言いがかりで唾棄する対象にしかなりません。
昨今の「権力勾配を考えない無邪気な平等化」にどうにも疑問を持っていますが、それを通り越して権威主義を振りかざし、「ま゛ーま゛ーま゛ーいいじゃねーか」と難儀さから目を逸らさせる行為には敵意しか持ちません。その態度はいずれ「都合悪くなりゃ殺しにかかる」土壌になるから。その事を指摘して項を終えます。
PS 人権を尊重する立場からは拙稿で書いたような目線になりますが、経済生産性を重んじる方々は「金ニナル分コッチガマシ」とでも言うのでしょう。その行為を私は「収奪行為」としか思いませんが。