年が明けて間もなく、三宅雪子さんがなくなられたという一報を聞きました。議員の職を引いたあとは様々な社会的事象を追求し、発信する活動をしていた様子はTwitterのタイムラインで見ていて、「反対側の人にも届く」ことを意識して発言をされていた印象があります。
しばらく前にTwitterから撤退した私ですが、拙稿の記述に時たまあっと驚く方がリツイートした通知が来るんです。三宅さんもそのひとりで、こんなむさいゴリラの意見、よくタイムラインに貼りますね…と驚くことが度々。それだけ広く目線を配っていた証左と言えるのではないでしょうか。
ただ、広く気を遣うという行為は自身の精神に来るものがあります。それがキズにならなければいいけど、とおもっていたところに最悪の知らせ。ほんに残念でなりません。
たどってきた、しようとしてきたことを継いでいくことで「生きた意味」を社会に刻んでいくことにします。三宅さん、ゆっくり休んでください。