社会を構成するに必要な物事の一つに口頭あるいは文章による情報伝達があります。それを伝える手段の一つとしてマスコミがあげられますが、最近ではそれによらず個人あるいは団体で独自に発信するSNSというのも確立。ただ、そのいずれにも言えることは「使い方を誤れば凶器にもなる」ということで。
今その伝達力が一番あるといえば旧Twitter今はXと呼ばれる媒体がありますが、イーロンマスク氏がその媒体を私物化してしまってからはどうにも強烈な言葉のみが社会に叩きつけられる状況にもなっていたりします。そして、日本語で言えば140文字しかない容量、その言葉に込められた全般的な様相あるいはその背景というのを読み取ることができず、結果その単語・短文1つで全てを図るような状態になっていることそのものに怖さを覚えないわけではありません。
数年前、私のツイート1つに難癖つけてきた人に対して私の読者の方が「それ1つだけで物事を見ないで」という警告を発したこがありましたが、酷さの度合いが濃くなっているのを感じています。
過日も述べましたが、Twitter・Xの役割は「1つの考え方を置いてくる」で対峙すればいいか、と。より深い発信の入り口にはするがそれ以上に、は考えないで運用していくのがいいのかなと思います。
この後、選挙戦・総選挙を選挙戦が行われることが有力視されていますが、「程度」を知った上で熱意を出して対峙していくことにします。