社会変えるのは『働きかけ』。批判やめろで封じ込められるいわれ無し。
「溜め」のない社会―コロナ問題で露見した脆弱性。
逃げ道ない人を追い詰めた結果の「爆発」―コロナ陽性者の行動。
2月以降、コロナウイルス報道について気になることが。感染の報じ方がまるで犯罪報道のような形でなされているのがどうにも。いかに「ジコセキニン」思考がはびこっている日本社会とはいえ、程度というのはあるだろうよ、と思っていましたが「ここでもか」と思わせるに十分の光景を見せつけられています。
そんななか聞こえてきた愛知県での「陽性判定者の外出」&「外出前に『ウイルスをばらまいてやる』発言」報道。袋小路にして蹴りつける行為してれば壊れてこんな行動とる人も出るだろうな、と思っていました。家に居ろいうのはその通りでしょうが、陽性判定食らって「備え」あるわけで無し。コンビニの訪問販売のようなサービスですか、それを皆が皆知っているわけでない。ましてウイルスなんての見えるわけないですから、そんなんで「かかったら加害者だ」なんてやられたのではたまったものじゃありません。
パニックというか浮き足立っているというか。ストレスたまっているのもあるのでしょうが、感染者に心ない言葉吐く方が少なくないのは残念ですし、ましてや体面保つために「お遊びでクルーズ船に乗る」など感染者を蹴りつける行為は問題外です。そこら辺見ながら相対していきましょう。おつきあいいただきありがとうございました。
ある種の安倍政権支持者に。
「劣ること」を認識し、尚且安倍政権を擁護するなら抗うしかない。
最近の国会・政治の話で、下記のような記述が飛んできたのには面食らった。
「安倍さんが能力ないのはわかったがそれでも反日野党よりマシだし、そんなに能力無しというならそういう人にもわかるように質疑なり通告をしろ(要旨)」
…ときたものだ。さすがに怒鳴りたくなります。そこまで合わせなければならないのか、と。
「だってぇ〜議論したいんでちょ〜だったら相手のレベルに合わせますよねえ」
とか
「偉い人に意見述べるの許してやってんだから辞書一冊分なってでも通告しろよ」
とか。
何か違いませんかね。
立法府に「法律案」審議するのを頼みますわな。頼む側が凄まじく尊大なんですが。何をどーしたって議会・立法府で決めることは全市民に影響するのだから、「準備」しておかなわんない立場だし、その情報を得るアクセスは提出者の方が手厚いはずですが、この様と。
知性を持つってのは、色々「引っ掛かる」ことがあってめんどくさく思うものってありますよ。ほんでも先に書いた通り「全部に影響する」から、ウイング拡げて賛意を得るやり方とった方がいいわけで、それがめんどくさいと考える人が往々にとるのが「知性の排除」。
1933年ドイツ総選挙以降のナチス掌握とか、1970年代のカンボジアポル・ポト専制とか。今の日本他人事にできませんよ。いまは「権力者が勝手振るえば失脚する危険性」が(わずかでも)ありますが、それがゼロになれば大手振って殺しに来ます。人間の弱さをなめないことですね。
抗うしかない、とタイトルに記しました。私にとっては当たり前の認識でいますが、安倍政権支持派の論壇者は抗うこと自体を止めさせようとしに来ています。「〜〜は政治に口出すな」、とか。存在し続けていれば機はあります。諦めんと生きています、と述べて項を終わります。おつきあいいただきありがとうございました。