多忙が重なり、しばらく社会活動の記事製作を絶っていました。精神的な渋滞モードに入っていまして、何から書きゃいいのか、で。
統一協会・勝共連合のやり口と権力者とのつながりが報じられていますが、どーにもその両者並びに自民党の面々が「余裕面」かましている様子に障るものがありまして。
統一協会の行ってきた反社会的な収奪行為、どういう思惑であれ社会変革をさせないがための反共産党てき思想、それを進めた結果が、「権力者様とその周りだけおいしく、残りはその餌でしかない日本社会」なわけで、なぜそんな勢力に寛容に相対してやらなければならないのですか。
余裕面している理由ですか。権力の私物化として行われてきた行為の追及を尽く無力化させてきたのが「無限白ばくれ→“飽き”を誘引して追及を止めさせる(下位転換として『追求する側に嫌悪感を植え付ける』)」てなとこですか。恥もプライドもなくこうすれば逃げられる、ということを学ばせてしまったのが悔しい。
以上2点をポイントにこの問題を見ておくとします。お付き合いいただきありがとうございました。