つなげ“希”動力-人生記録員、伊東勉のページ。

17年9月移籍、社会活動中心の記事を記していきます。

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寄り道しながら、「個人の存在」と「8・15と平和」考えてみた。

 8月15日。

 大日本帝国が起こした戦争が終わった日からは77回、私の人生では47回目の経験となります。テレビやラジオでは戦争で何が行われてきたのかを語られ、同時に今いま起きてしまっているロシアによる侵略戦争についても触れられています。大上段にはしませんが、上段から中段くらいの話を下記に。

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 三国志やら戦国時代を題材にしたゲームがありますね。著名キャラクター以外の一般兵は「ザコ」扱いにされてキャラクターのひと振りで存在を消されてしまいますが、その「ザコ」一体一体に実社会のように人生あって、家族もあって云々、とを考えるようになってから、その類のゲームには興味が向かなくなりました。

 歴史を学ぶ際にはすぐキーポイントとなる人物を中心に語られることが多く、各々の時代にいる市井の場から見たものは多くはないなぁ…と長らく思っていましたが、最近私が読んだ漫画「雑兵めし物語」が「市井の場」に突き当たりました。著者の重野なおきさんは私とほぼ同年代四コマ漫画家。ここ10年くらいは織田信長黒田官兵衛、真田一族などを中心とした戦国時代に焦点をあてて作品を描いていますが、昨年から江戸時代の書物書を基に市井の場からとらえた表題作を連載。権力者や施政者は各々にもっている意思を基に「社会を動か」そうとしますが、圧倒的多数の人は「日々を懸命に生きて、飯を食う」が第一義だ、という様子が描かれています。

 「飯を食う、が第一義」…ですか。その“第一義”の手段、当時は各々の大名(など施政者)が生殺与奪権握って、領民をコントロールしていた。今はさしずめ、労働者の賃金を経営者(+与する勢力)が…てな感覚で。ほんでも、一人一人の「市井の人」はそれにやられっぱなしだったか言えばそうでなかった。一人ひとりの力は弱かろうが、広く大きな連帯で大きな壁にして、社会の不条理を越えてきた。

 要は。

 俺たち市民の側からも戦争を起こさせないと視点の社会をつくる力はある、ということ。ある時代では戦争などの“不条理”を止められなかったかもしれないが、その反省をもとに「同じことは起こさない」行動はできる。

 戦争の問題でもそうです。「権力者の権利」から「原則は禁止」まで持ってきたのは、戦争を嫌がった市民の力がつくったものです。ロシアのプーチンは国民有権者の口をふさいでああいう愚行に走ったわけだから、「戦争を望む人間にとって疎ましい存在で居続ける」ことを誓い、歩いていきます。