まえがき
私は野球と社会活動で各々のブログを運営しています。6年前まではひとつのブログで運営していましたが、要請により 分離。普段は野球に関しては別ブログで書いていますが、社会活動に関わる事象が起きた時にはこちらの方にも記述します。
WBC・野球が示した可能性。
先日決勝戦が終わったワールドベースボールクラシック。参加20チームが織り成した様々なドラマは、最後日本とアメリカの大将格選手によって 直接対決が行われ、大谷翔平投手がマイク・トラウトを制してWBCのタイトルを獲得。この間、様々な野球人が起こした行動とは、野球というスポーツが持つ可能性というものを拡げてくれたもので、その一つ一つの行動には敬意を持ち、頭が下がる思いでおります。
「国際試合」から目線を遠ざけたもの。
ただし。
私はこの数年、日本代表が関わるスポーツとは距離を置いています。
1つはマスコミなどが行ってしまっている「スポーツウォッシング(スポーツにのみ焦点を当て、他の物事―主に権力者に都合の悪いこと―に焦点を当てさせない)」。
もう一つは社会の右傾化&権威主義の増長が基となった「日本代表を利用して敵対者に対してマウント行為をとる」行為。
以上二つの視点から国際試合に対して起きる感情には嫌悪感すら覚える事態となっています。今回は岩手代表が2人入っていたから色々切り離して物事を見ていましたが、先に記した不信感は抱いたままです。
「韓国」という文字が出るだけでわいてくる憎悪に
日本と対戦したのは7代表。チェコとの試合に象徴されるように「激闘とリスペクト」にあふれたたたかいになりましたが、1チームだけ「空気がどうにも」という対戦カードがありました。
韓国代表チームとの試合。
と言うか、大会通じてSNS、yahoo!ニュースコメント(ヤフコメ)を見ても韓国が出てくると悪し様に語り、「自分は優れている民族の一員」と思い込み、「劣等民族である韓国に対して善導してやる」という態度でコメントを書き込む者が多かった。
マスコミもペイパービューを稼ぎたいから、そういった人たちを呼び込むような「引っかかる」挑発的な記述をする傾向も重なって、韓国という単語が出てくるや、その記事のほとんどのコメント欄が見るに堪えないモノだらけとなりました。
特に、NPBにわたってきて長年奮闘してくれたイ・スンヨプさんやイ・デホさん、ご子息が今回代表に選出されたイ・ジョンボムさんといった選手ですらくそみたいな誹謗をぶちかます。「韓国の四番(イ・スンヨプさん)は日本では三軍でしかなかった」とか(三軍の試合には出たことはあるが常時一軍)。
他人にリスペクトを求める割にはああいう発言されるご自身は全然そのかけらも見せないんですね、と怒りしか覚えませんでした。
こんなんものにつきあってられるか
私、こういう人たちと一緒に見られるのが嫌だから、日本代表の関わるスポーツを見なくなり、「そこで楽しもう」という意思を封じ込めました。
国内で自分の関わる属性に対しても「どうせこんなんだろ」的に言葉を重ね塗りしてひとつの意思以外を持たせないようにする。「お前ら左翼は愛国心嫌い、日本代表嫌いだろう」「韓国の応援をするとか、今の日本の権力者を支持しないやつは日本への敵対行為」と決めつける。そもそもの記述から疑問に思うし、何しようが叩きに来るならその場から離れます。
ここまで書いてきたようなことが嫌で、国際試合からは一歩も二歩も三歩も引いて物事を見てきたわけです。
あらゆる分断施策は何を生んできたか。
この手の分断を権力者自身の力にして、自分に着かない勢力を無力化することによって権力を守る。そのやり方で十数年の社会を曲げて生じた歪みがここにも表れている。
正直、傷は深いです。
最近ではさらに進めて「おめえらみたいな逆らう勢力がいるから分断が起きる」などという主客転倒の記述すら見かけます。今の収奪・権威主義抑圧社会をそのままに、それと違う考え方をする勢力をなくして、今の生活が守られると思ってるのは「おめでたい」としか思わない。そういう理由で存在をなくなるわけにはいかないのです。
「ヤフコメだから」仕方がない、などと言わせない本当のリスペクト社会呼び込むまでは、この視線を解かずにいます。
以上、「水をぶっかける」ような感じですみませんでしたが、野球もするが、社会活動に関わる立場の人間という位置での記述を終わります。
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地方の政治にどういう人を関わらせるか、という選挙が23日から始まっています。統一地方選挙は知事選からスタート。大阪府知事選挙でたつみコータローさんが立候補して「維新が進めてきた一見“改革派”に見せての収奪・権威主義的政治」を跳ね返し、暮らしを守る公的責任を立て直す強い意志を示しました。それに心強い思いを思っています。
至るところに「諦めさせよう」という空気が濃くなる中、それぞれの場で「意思がある」ということを示してまいります。
今日は特に長い文章となりました。おつき合いいただきましてありがとうございました。