つなげ“希”動力-人生記録員、伊東勉のページ。

17年9月移籍、社会活動中心の記事を記していきます。

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批判もするが、希望も語ろう―ここ数日の共産党政策提起と合わせて。【至・2019年国政選挙】

 今日の朝日新聞で「人生100年時代の蓄えは?年代別心構え、国が指針案」なる見出しの記事が出ていた。総じて市民にガマンを要求する内容。安倍政権の犯した失策の数々を国民犠牲で乗り切るとはいい迷惑でしかありません。まして安倍政権のオトモダチはガッチリ守られるのだから、批判は起きて当然です。(アンチ野党の皆様、一々押さえつけに来るなウザいから)

 丸山穂高の愚行も合わせ、とにかく“オトモダチ”以外に唾を吐きかけ、野党にネガティブな言を吐かせる行動しかさせないようにしている状態・現況については、トーンポリシングとして語られるそれとは別に気にもなっていました。2013年の参院選共産党伸長は「提起と提案と行動」で成された部分も大きいからです。どうにも選挙戦術、テクニカルな部分に目が行きがちですが、選挙通じて社会を変えるための必要な行動は何か、というのを忘れないでいたい。

 目線が国会から浮いている間に、ろくでもない法案がまたひとつ。「国有林法改正」がそれで、開発面に重きを置くあまり、森林を明け渡す基準を緩め、資源の再生産(再植林)もしなくていいというもの。日本が自然豊かな面を残しているのは、面積の大半を占める森林を守ってきたから。しかし、その管理が行き届かなくなって荒れたり、あるいは獣害で環境が崩れたりして難儀している状況が見えているところにこれです。ホント、安倍政権はオトモダチのためなら収奪をためらわない。

 「安倍政権はやめろ」というのは、彼らのやることの通底にある「市民からは搾り取り、オトモダチの富裕層に尽くす社会の私物化」を止めるのに必要なことだからそう言い続けています。「変えるとより悪くなるから、安倍政権で“安定”を」というご意見ありますが、この6年進められたのは市民からの収奪、それによる不満を押さえるための強権策動、同じく和らげるための「生け贄に対する憂さ晴らし」。そーいう社会から切り替えましょう、てなことで動いています。

 「批判する」ことと「希望語る」ことは矛盾しないので―トーンポリシングかます方はどっちかをカギにしてもう片方を止めにいくので―ガンガンと、空気読まずに語りましょう。おつきあいいただきありがとうございました。

盲目的安倍政権支持者、丸山穂高の一件から「維新切り棄て」行為に。その証明は「共産党と同一行動とったから」…って。【至・2019年国政選挙】

 安倍政権支持者が考えの指標にしている番組の視聴者が、やたら維新の切り棄てにかかるような言葉を吐いているようで、そのネタとして何が使われているかと言えば「共産党と〜で同じ行動をとったから!」だと…。

 対立法案が目立つからでしょうが、合うものがあれば全会一致含めて広い賛成で案が通ることの方が多いのです。だども最近は盲目的安倍政権支持者が「共産党も入った全会一致は“日本人”に損となるものだ」と言い出す始末。そこまでいくと、もは国会だの、もっと言えば「社会」必要なくなりますね。

 安倍政権維持のために「野党の存在を否定する」のを原動力にして、それを6年も続けてしまった後遺症なんでしょうが、社会にはいろんな立場の人間がいる、程度のことは認識していただければと思うものです。

“1”を“0”にはできない。裁断なく聞こえる「諦めろ」に屈せない理由。【至・2019年国政選挙】

 改憲国民投票のルールに、「コマーシャルの制限」がない、というのはみなさんもご存じと思います。それが何を生むかと言えば「経済強者による意見発信機会の独占」。ただ、それは国民投票を待つまでもなく、Twitterのタイムラインでは実現してしまっているものです。経済力のある人間は凍結されないし、されたとしても次々アカウントを変えて復帰する。俺のような貧乏者は永久追放、ですか。

 テレビ見ていると、あるひとつの方向に強烈に押し流そう、という動きが見え、それで旨味を知った権力者はこれ見よがしにこれでもか、これでもかと宣撫に勤めて、か。嫌んたものは嫌んた、と表明すること自体が大変です。すれば多数者からの報復がもれなくやってくる。

 そんでも「アアソウデスカワカリマシタワタシモ降伏シマス」って訳にいかない事情もあります。どんなに周り取り囲まれても、それだけではまだ“ゼロ”にはできない。しかし、折れてしまったら“ゼロ”に。

 1とゼロは全く違います。

 どんなにしんどくてもこらえにゃなんない場面はあります。こんだけ富裕層ばり厚遇され、こんだけ市井の市民が虚仮にされる政治がなされ、こんだけ社会が権力者のオモチャにされても「多数決の結果だ、甘んじて受けろ」で片付けられるか。各々については語っているうちに陽が明けるので割愛しますが、「権力者の専横が許されないのが当たり前」の社会取り戻すために、ひとつひとつの政治戦たたかっていきます。

野党共闘進めよう思うなら、他所様の自我を荒らす行為を控えなさい。

 前記事は比例選挙区について話しましたが、今回は選挙区で。「野党の一本化が進んだ」という記事が出ましたが、今度は立憲民主支持者ですか。

=====(以下引用)=====

▼山中健司(@yamanakenji)2019年5月21日16時14分ツイート

『複数区でも北海道 神奈川 京都 大阪 兵庫 広島も共産党は候補者おろした方がいい』

▼同上、2019年5月18日 12時57分ツイート

『埼玉県や神奈川県の共産党は当選可能性そんなに高くないと思うけど。それに愛知県は共産党候補者の落選可能性はかなり高いよ。この前の統一選でも県議会は共産党議席だったし。愛知県は田島 大塚 酒井 安江になると思うよ。』

▼同上、2019年5月21日18時30分ツイート

『(東京選挙区の話で、吉良佳子議員が)落選するとは言ってません。微妙なラインなので当確には入れてないだけです。』

▼同上、2019年5月21日18時40分ツイート

(京都区倉林明子、大阪区たつみコータロー両現職議員について)『まぁ落選してもらうしかないですね。比例にまわれば当選できる可能性高まるのにね。』

=====(引用修了)=====

 ええとなんですか。複数区でも現職だろうが共産党や国民民主などは立候補とり下げろ、と。6人区でも「所詮落選候補」、止めに「落選してもらう」と来たものだ。よくわかりました。これが立憲支持者全員の言い分でいいんですね(^-^**)。

 共産党側も、立憲民主側も、複数選挙区では争うことになるのは承知ですから、それ自体はいいとします。自分等が当選にいこうとするのは当たり前の話ですしね。ただし、今の政治戦でやらなきゃならないことは「安倍政権・与党を倒すこと」であって、そのための共闘もしていく必要があります。それを考えた場合、野党各党に対するモノの言い方は考えていかなければならないものもあるのではないでしょうか。

 比例区統一名簿論にせよ、この言い分にせよ、「協力する気をなくす」「白ける」言説は慎まなければならないのと違いますか。山中氏の発言は野党共闘を破壊する効果をもたらす危険性があります。記した以上は全世界に伝わるSNS、独り言では済まない、というのを申しあげ項を終わります。

風邪で休みたいが…「幹部」と「末端」の離反促すのも毎度の光景。

 熱と倦怠感で今日は寝っぱなし。本当に真っ白にして寝ていた方がいいのですが。

 ある勢力を批判する際に、「幹部」と「末端」を分断するやり方は一般的に行われるもので、共産党に対しては「“幹部”は何もしなくても議員になって貴族的な暮らしをしている。“末端”はそれに奉仕するだけ。ほうら馬鹿馬鹿しくならないか」とか。少し考えればつっこみどころ満載だし、議員側も楽している人なぞいないし、そんなことお話になる方は決して“末端”の人の身の上なんて心配していません。ざっと履歴探ってみれば「〜の属性はみんな×××しまえ」ですから。

 これは安倍政権・反動主義者のみならず、野党支持者が“ひっぺがす”目的に言い放つときもあります。過剰に突っ込んでも疲れしか起きません頭入れて対処しときましょう。

 あと寝ます。おやすみ。

再確認。野党共闘に「自我の破壊」は必要か。一部にある共産党解体論と社民党“格下”論について。【至・2019年国政選挙】

 野党の力を結集して安倍政権の苛政を止める、そっから始めた共闘の模索の中でひっかかるのもあります。

1)共産党に対する党名・運営形態(民主集中制)・綱領の変更要求

 「できることはなんでもやれ」「受けが悪いから〜を変えろ」…などと言っては共産党に変化を要求する言動、@Artheid3氏の煽りから統一名簿強要者が強く言い出すように。「〜を棄てなければ勝てない」とか煽り立てて。共闘は「元々多様な位置にいる人が一致する目標のために行う」もので、それぞれが持つアイデンティティーを壊して行うものではありません。まずはそれを覚えていただきましょうか。

2)社民党に対する「蔑視」。

 統一名簿の賛否を問わず、社民党を軽視している言葉が吐かれている様子があります。賛成者は「何、名簿に乗せてやる、といったら統一名簿に賛成してくれるさ(共に当選を目指す、という考えはない)」と言い、それに反対する立憲支持者も「独自勢力でいることを諦めて融合しろ」と言い放つ始末。

 両者ともに言えるのは「考え違う人に部分折れてもらうことに対する礼儀がない」ことにつきます。できることから地固めしての共闘こそスムースにいくものですが、一部の論者があえて高いハードルをつくって難詰する行為には閉口するしかありません。共産党の党名も、社民党の存在も、関わる人にとっては「存在の根幹」をなる問題です。

 更に。それを棄てさせようとする人たちは一方である勢力への結集をとなえます。支持を増やしたいなら自力でやってください。「てっとり早く奪い取れば楽でいい」の方便に使われてはたまったものではありません。私も生意気るる語りますが、ひとつの立ち位置の発露。踏みつけに来るならそれは除けることにします。

 おつきあいいただきありがとうございました。

坂戸市議会の「議員活動に難癖」案件、早速擁護者表れる。

=====(以下引用)=====

▼i234go678q10(@i234go678q10)2019年5月19日 10時28分ツイート

『こうやって圧力を掛けて嫌がらせをして、赤旗でも買わせようとしたんじゃないですか?そもそも生活保護手続きなどに地方議員が立ち合うことも圧力・パワハラ以外の何ものでもないと思っています。個別の件に議員は関わるべきではありません。』

▼発信者同じ。2019年5月19日10時51分ツイート

『行政のチェックは適正な手続きに則って行ってください。いきなり来られれば業務の妨害です。日本共産党中心に世界が回っている訳ではありません。また、生活保護手続きの行政のチェックなのであれば申請人の横ではなく、職員の後ろでチェックしてください。』

▼発信者同じ。5月19日11時0分ツイート

『結局日本共産党の市議会議員が行政を攻撃するための情報と実績の手柄を独り占めしたくて先走ったんでしょう。委員会で対応すべきことです。』

▼発信者同じ。2019年5月19日11時12分ツイート

『もう一度いいますね。目的は手段を正当化しないんですよ。数ヶ月掛けてやっているんですから、しっかり委員会にかけて訪問調査をすればいいんです。それなれば調査結果も公式のものとなる。委員会での訪問ならあとで否認もされない。ちゃんと手続きを踏むと言うことはこういうことです。』

=====(引用終了)=====

 私からはとりあえず紹介のみします。ご感想は皆様にお任せしますが、この発言者は共産党に対して負の感情を抱いていて、それに囚われているお方。一般論として批判は当然あるものですが、この方の論は所詮「事大主義に立て」、あるいは「共産党の全否定」。この一件に関係ない生活保護も持ち出していますが、それを「権力者側に立って申請者を見張るのが正しい」ような言い方するに至っては軽蔑の眼差ししか送れません。

 この手の方の発言は止められないし、合意点を結ぶ気もないので、それなりの対応−デマには反論、それ以外の議論には乗らない−されるのがいいかと思います。

坂戸市議会で共産党議員対象に議員活動に難癖つける策動が起きています。当然策動は叩き潰す。

www.asahi.com

 

 …前回2015年の統一地方選挙後、特に関東地方の議会で少数勢力に対する締めつけが強くなり、神奈川県議会では共産党の発言権を除去しようという策動も起こりました。神奈川の策動はなんとか止めることができましたが、全般的に見た場合多数派がより強力に、非多数派は必要以上に権利が削られる。そういうのがここ数年ずっと続けられてきました。

 今回取り上げた坂戸市の一件は、「野党の力をまだ削り足りない、と思う勢力がしかけたもの。狙いはなんですかね、「少しでも他数者が不利になる状況を削り取る」、あるいは「野党のチェック機能を潰す」、こんなところでしょうか。更に言えば「いまなら神奈川の時のように反撃を食らわない、『何をしても擁護してもらえる』」とでも思っているのでしょうね。

 「抵抗スルト不快感ガ掻キ立テラレル。ダマッテイレバ傷口ハ少クテスム。抵抗ハヤメルンダ」―こう言いくるめにも来るでしょうが、くそふざけた「時代の趨勢」とやらに服従させられる気はありません。坂戸市議会で起きている策動は叩き潰すことを呼びかけまして項を終わります。

丸山穂高行方不明。したことのすべてが返ってきた以上立ち振舞い考えなさい。

1)維新を除名になった丸山穂高が行方不明、との話を聞きました。最低限、積極的に「最悪」を願うような発言はしないこと。丸山擁護ではなく、丸山と同じ段階の人間になるのはやめた方がいい、という趣旨。

2)これまで丸山穂高は「卑怯上等、クズ行為上等」の立ち振舞いを見せ、対立勢力と見たらそれが一般人であろうが過剰な攻撃性を見せ、自身が攻撃するだけでなく、支持者・同調者に袋叩きをかます“犬笛”の役割を果たしました。強い批判は先の北方領土での発言だけでない積み重ねがの上のことです。

3)「自殺に及ぶ危険性があるから批判をやめろ」なるご意見がありますが、では丸山あるいは同調者は「大概にしろ」という批判にどういう態度をとったのですか。あえて言わせていただければ「自殺は絶対禁止。ただし、自身がしたことに“気づいた”のであればその報いは甘んじて受けろ」。

4)丸山の一件をうけて宇佐美典也が「リベラルは寛容に対処しろ(大意)」などと述べていますが

 当てつけでしかない言葉の羅列にうなづく気はありません。本人がゆるぐない助けて言うのなら対応もできましょうが、これまで散々殴りつけた相手の顔を踏みつけながら許しを強要のは違うだろ、とのべて一文終わります。

どんな劣勢でも引けない理由―「賛成する」だけでは縊り殺される。【至・2019国政選挙】←微妙に変えます。

 ある日のTwitterタイムライン。

 「安倍さんの支持率は9割まで行く。しかし、残り1割は屈服しないし9割の民意を得た安倍さんに敵対する。民主主義の敵対者は(提示された支持率に従わない)少数派じゃないのか」

 はあ。

 拙稿ではかねてから「どんなに多数で囲いこもうが自分の意思を曲げるつもりはない」と述べてきました。ところが、いまでは「多数派に逆らうこと」自体が悪者視される傾向がありまして、普通9割も支持率あれば充分すぎるのに、なお足りずに「磨り潰し」にくる言葉を言い放つ。ま、存在残しとけば自分等が散々かました専横のお返しされるからそう思いたくなるのでしょうが。

 対抗勢力をクソ味噌に叩くことで命脈を保ってきた安倍政権。それは本来とらなければならない野党のチェック機能さえ打ち壊し、「安倍政権」以外の存在を嫌悪さす社会をつくらせてしまった。Twitterやれていた頃に「議員は出された法案を成立させるのが仕事」のべる方に難詰され、「ダメなものはダメという必要がある」てのがすっかり投げ棄てられるな、と感じたこと度々。

 その毒気にあてられて「疲れたやめた」語る人も出てきたのも実際ですが、ではみんなやめてしまったら「権力者様」は言うこと聞いてくれますか。施し授けてもらえますか。

 そんなわけないだろ。

 お人好しも大概に。

 諦めたら今までのが前座と思えるやり方が幅利かせるので、何がどうあれ諦めだけは起こさずに安倍政権及び収奪勢力に対峙します。おつきあいいただきありがとうございました。