つなげ“希”動力-人生記録員、伊東勉のページ。

17年9月移籍、社会活動中心の記事を記していきます。

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安倍政権応援者「連休」呼ばわりの実像、「桜を見る会」私物化問題―至・7月国政選挙。

 安倍政権支持者が「野党は40連休」と詰っている一文を見ました。前年には「18連休」言ってたのをよりひどくした形。前年の「18連休」は

1)自民党が質疑に必要な準備もせずに採決まで一気に持っていこうとした

2)18連休というが、大型連休もあり実際潰れ(てしまっ)た質疑日は4日程度。

 そんなんで過大表示としか言い様ありませんが、今回の40連休は「憲法審査会の開催の賛否」のみをとらえ、前年をはるかにはるかに大きく拡大解釈して40連休…共産党赤旗のホームページご覧いただければお分かりと思いますが、彼らが休んでいると認識している統一地方選の最中にも国会はやっていて、様々な審議はされていました。何をとらえて「野党は40連休=何もしていない」というのでしょう。

 ま、こう語る方々は出たら出たで「安倍政権に協力していないから仕事していない」とのべるので「どっちみち打ったつけられる」ものでしかありません。

 今週の質疑で、宮本徹議員が取りあげたのが「桜を見る会」の税金支出の問題。菅官房長官は「功労者の慰労と懇談のため必要な予算」とのべましたが、安倍政権による「囲いこみあるいは懐柔」の舞台と化しているのが実際。実支出が毎年予算の2〜3倍と疑問点は少なくありません。昔から行われてきた行事にしても、ここでも安倍政権による私物化がなされ、更に応援団による擁護も重なって「愛国無罪」が蔓延る構図に、持って行き場のないイラつきを覚えます。

 今夏の政治戦はこんなん政治圧し進める勢力に「残りの障壁を全部明け渡すことを許さない(改憲発議3分の2阻止)力を得る」。何でもかんでも安倍政権オールOKのやり方を許さない、緊張関係を取り戻す確かな力を取り戻すたたかいです。

 先長い人生を圧政の下で生きたくないので、力を尽くします。おつきあいいただきありがとうございました。

最近目につく“左”右からの「共産党党名変えろ」論。他人のアイデンティティに手を突っ込むときは命を賭して行ってください。

 タイトルには“左”右と書きましたが、“左”の方が多い。特に野党共闘を唱える方が。はっきり言いますか、共産党の人が政治や社会活動に関わる気力を折るものでしかないですよ。その論は。とくに「共闘」述べている方で、これまで立憲民主党や枝野党首に批判を加えていた方々が、共産党にも標的を変えてきた様子が見えます。

 何でもかんでも同一性求めないでくださいな。特に最近この方面で性質悪いのがTwitterアカウント@Artheid3と名乗る御仁。不正確な情報に踊らされてフラフラモノを語り、最近では共産党及び関係者の不正確な情報を基に「屈服」迫る。「他国では共産党禁止だ」と言い出すに至っては「結局は共産党潰したいだけですね」としか思えません。

 やっている人が同じだからですが、以前の一本化強要→統一名簿強要とつながる行為、結局は「自身の支持勢力の都合の良いコマになれ」でしかない。現場で共闘に協力している方々にしてみれば迷惑です。ひいきの引き倒しは。

 この際言いますが、「結局は都合よく使って潰す気でいるのではないですか」と疑いたくなるような言動は見かけるのですよ。だどもそれいちいち難詰して壊すのも難だからスルーしている部分はある。他所様が考えている以上に共闘のストレスはあるのですよ。そこを軽く見ないでください。そこの点から「できるところから地固めして」述べています。

野党共闘・比例区「統一名簿」論の危うさについて。 至・7月国政選挙

 野党共闘論議で危うい傾向ある箇所について一言申し上げます。

1)共闘はできるところから地固めしてやる、というスタイルが必要。「比例区統一名簿」賛成論者のように無理なことを顔面にアイロン押しつけるがごとくやろうというのは違うだろ、と。自我も出せる部分ないと壊れる。

2)比例区の目標を発表した勢力に対し「票を得ようと『無駄な立候補』に走る危険な行為」「得票より当選者数の追求を」といって批判する御仁(よしぼ〜 @Yocibou)がいますが、多数の指示を得て社会をつくるのを方針にしている勢力にそれを棄てろというのか。どの道多くの賛同を得る努力なくして力を得ることはできません。Yocibou氏の意見こそ力を失わす危険な意見です。

3)比例区でもうひとつ。複数の勢力がひとつの名簿でたたかう場合は綿密なやり方をしないと、後々に禍根を残すものになります。名簿順位固定式でも頭悩ますのに、参院選は「非拘束で個人記名票多数者からの当選」、票を統一名簿に拠出してもふさわしい議席を得られなかったら収まりつきませんね。「野党が議席を得たんだから納得しろ」では済まない。似たケースで「〜〜は名簿に載せてやれば満足する」という言い方も。共存共栄どこいった?

4)統一名簿言い出した勢力は、個人票はある程度得られるが、議席数の枠を得る力が弱いところ。実も蓋もないこと言えば「枠を得る力がある勢力」に抱きついてその恩恵を得たいのでしょうが、乗っ取りにかかるような行為をされたら流石にふざけんなしか言い様ありません。それを糊塗するための「野党が議席を得たんだから納得しろ」で納得するわけない、というのは重ねて表明するものです。

「寄らば大樹」という処世術。逃げ切れない人には地獄でしかない−至・7月国政選挙。

 二月の消費税学習会で「消費税はババ抜き。最後逃げ切れない人に負担が行く」という話を聞いた。それが故に「消費税は安定した税収」と能天気に語る方の言葉についていけない。

 同様に、橋下徹氏の「いじめられないためにはいじめる側に回る(大意)」の発言および行動がすっかり力を持って、いじめる側に回りきれなかった人に対する仕打ちが酷くなった。十字放火を食らうがごとく。

 私はどっちか言えば「殺される側」の属性が多い。生まれからしてそうだからな。あの母親でなかったら俺は生まれちゃいねえ。そんなわけで、「殺しにかかる側」は容赦なしにかみつく。

 「noisyーminority!シャラップ!」

 知るか。物理的にモノ言えなくなるまで黙らない。(いろんな意味で)殺しに来るなら、反撃を食うことを覚悟してください。

無償化法案、「のめない」モノを混ぜ分断を持ち込むやり方に辟易する。そ れ で も 折 れ て い ら れ な い。−至・7月国政選挙

 幼稚園、保育園に通う子どもの、あるいは学生の無償化法案が、今日成立しましたが、「無償化」と報じられているわりには「財源は増税した消費税」「条件が“実効性なし(当てはまる人が極少)”“使い勝手が悪い”」と、ここでも「やったふり」が幅を利かす。更にのめない要件を入れて一部勢力を反対に回す→ネトサポが「あーれれぇなんで野党さん反対しているんでつかぁぁ」と詰るのに使う。昨年の国会から対立法案でないのもこうして諍いの構図をつくる、てなやり方するようになってきて「ああもう!」ってしか思えません。

 国会は全部が全部対立的な法案だけふされるわけでないから、部門的・部分的に一致することもあり、全会一致に至るものもあります。かつては全会一致にならない、ことに共産党の反対があった場合には「成立はさせたものの、大きい“穴”があるかもしれない」とその運用を警戒する様子もあったようですが、いまでは「全会一致は“反日”も賛成できる中身のもの」と嫌悪感を表す者もあり。こういう社会になったのか、とため息出てしまいます。

 数年間、ある種の意思で社会をまぶし続けた結果、近隣国、あるいは現在の非多数派と聞くだけで嫌悪感を感じる社会にさせられてしまいました。「やったことでしか評価されない」のは社会の常でしょうが、そうでないのをまぶされ続けて「何をしても無題」となると「ではあとご勝手に」と言いたくなります。折れる人も出ないわけではない。タイムライン見ていると…てのもあります。

 私ゃ投げ出したかないので、最期までこの道を歩き続けることにします。これで諦めたら逆転の芽も失ってしまう。そんな社会でいきる屍になりたかないので頑張ります。おつきあいいただきありがとうございました。

「多数派に戻れば」が持つ暴力性。茨城医師のLGBT発言から−至・7月国政選挙

www.tokyo-np.co.jp

 上記の見出しの記事をみかけ、さらにその発言をした満川氏の弁明も別なところで見ましたが、無神経もいいところで勘弁しろ、しか第一の言葉が出ません。その理由2つばかし。

1)まずLGBTの方々に対する無理解。その方々からの様々な要望など当事者の方のための会議で当事者のアイディンティティ否定してどうすんの?釈明でも結局否定する方向からしか話をしなかった。当事者は「知らないならこれから~」とは言っていますが、擁護する気も起きません。

2)更に引っかかったのが「多数派に戻す」という言い方。昔からマイノリティの方々をマジョリティ・多数派に合わせるという行為は数多くなされてきたわけですが、最近は「社会の最低限の約束ごと」を飛び越えて「同調圧力で非多数を握りつぶす」行為もまま見かけるようになりました。

 それを正当化するために「ノイジーマイノリティ」なる言葉で「多数派の平穏を壊しに来る輩」と位置づけて攻撃してくる方もいますが、その位置にいる方々の要求は「多数派と同じように生きやすい制度にしてくれ」てなもの。なにも多数者を侵しにいくものでないのに過剰反応して敵対視する、あるいは「面倒だ」とトーンポリシングかます


 いまの安倍政権への支持が「寄らば大樹の影」で成り立っている部分もあり、「余計なことしないで安倍さんに従っていろ」なんて空気もありますが、ゆるくない実態は消せません。「やったふり」は許さず、「足りない」思ったらそれを世に知らしめて、それでもやる能力なければ引きずりおろす、でたたかっていくことにします。

 おつきあいいただきありがとうございました。

各々を認識・尊重した上での共闘が筋。他者の自我に手を突っ込むな−至・7月国政選挙

 今年のはじめから加熱ぎみに推移してきた「野党の比例代表統一名簿」論。その論を強硬にとなえる方々は立憲民主党、あるいは共産党に対し「アイディンティティに手を突っ込む」行為が見受けられます。結論から先に言えば「その行為は野党間の協力を壊す」。数年前の環境を考えれば「一致点の共闘ができる」ことだけでも進化していますが、一致しない点…さらに言えば各々がもつ自我・独自性をぶっ壊してまでそれを求めるのは協力の依頼でなく、ただの制圧行為です。

 ことに、共産党に対して党名・綱領や運営形態変更を迫るのは、単なる組織破壊行為でしかありません。うん年前まで行われていた一本化強要からいまの野党共闘で一番何が変わったか言えば、この手の強要をしなくなったこと。強硬論に与する方々はベテラン国会議員や気鋭の若手議員の発言をひいて「変更」迫っていますが、「弁えを知ってください」としか言い様ありません。

 「共産党が“変化”すれば統一野党の勢いにつながる」と言いますが、彼らが例に出すイタリアオリーブの木連合がどうなったか。一度は政権についたもののすぐに瓦解。資本主義を乗り越えることを目的とした団体がなくなったことで社会の選択肢が失われ、市民からの収奪主義者が幅を利かすようになった。日本をそうしたかないです。 追記に「一本化強要」を図る方の行動を記します。7月までの政治戦、第一義には「安倍政権の苛政を乗り越える社会展望を語り、力をつける」行動が必要ですが、強要者の行動にも警戒はしておくことにします。長文なりましたがおつきあいありがとうございました。

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《追記》比例統一名簿や共産党に干渉を強要する方々の行動一覧。

・Ayako MICHLMAYRーアルテイドー(@artheid3)→中道若手議員、大ベテラン議員の発言をひき「共闘の条件に党名などの変更」を強要。更に共産党関係者の発言をも都合よく引用。

・zix0358(@zix0358)、立憲民主の会@ネット市民連合(@hebo0909)、ぷ−(@prairiedog_POOH)、るりん(’-’*)野党共闘を応援する会オリーブ☆(@Happyrmtk)など→前者の発言を肯定。更に立憲民主党の内部に手を突っ込み、「ノアの箱船作戦」と称して支持者に変節を強要している。前者の発言肯定はしていないがよしぼ〜(@Yocibou)も強要者の一人。

・稲美弥彦(@rosmir1854tb)→上記の方々とは別の意味で一本化強要、共産党の“変化”強要を述べる。「共産党改憲論に与している」の理由がその論をとなえている議員の集会参加…など、不正確な論を語ること多し。

 2015年からの野党共闘路線、「一致するところで協力を」と奮闘されている方々の誠実な行動があったからこそ、私も「それなら」と行動に応じたものです。強要論に先祖がえりするような行為にはいっさい与しないことをあらためて表明するものです。

元号による時間支配同様、権力者の言葉破壊も社会を壊してます―至・7月国政選挙

 私自身は自分の信条として安倍政権・自公政権と対峙していますが、それ以前に「社会全体の要請」として、権力者の行動を監視する。現在の立憲主義社会はそうして成り立っているものと考えております。そんなんで「権力者が時間をも統べる」ていう行為に「そんでいいですよ」と頷くことができません。

 普遍的なものを一個人が支配する、といえばもうひとつ思い当たるのが「言葉」。安倍政権の支配に対する執着はこの部門でも見えています。この数年、安倍政権との国会審議では野党の質疑にまともに答えないことが常態化。そして本来の言葉の意味をねじ曲げ、都合のいい「閣議決定」をもって正当化するという流れも常態化させてしまっています。

 この閣議決定、というのは「議員から出された質問趣意書に対する返答に必要な手続き」というのはわかっていますが、最近はその誤解すら承知して論を放っている様子すら見えている。「答弁時のトイレ退出を利用して質疑時間消耗を図る行為」同様のそのなめた態度に不快さしか感じません。屁理屈で正当化している論者も含め。

 安倍政権を倒すことは「強者に都合のいい社会を正し、直すために必要」な行為。言葉をも私有化しようとする行為をはらうために行動していきます。おつきあいいただきありがとうございました。

憲法&こどもの日に合わせて−「戦争しない社会を引き継ぐために」―至・7月国政選挙

 こんにちは。何がどーなったか、の大型連休も幕を閉じようとしています。3日は憲法記念日でしたが風邪ひいてす巻き、5日はこどもの日ですが人と会うのがしんどくて大船渡行きを一日キャンセルして気まま車走らせていました。そんなやつが両休日について語るのもおこがましいですがおつきあいください。

 護憲というと「9条」が真っ先にあげられます。9条で平和を守れ、という言い方から「9条言っていればへーわ守れるんか」とよう言われますが、9条の使い方を勘違いしていないか、と。9条の存在価値は「戦争を起こす判断を権力者にさせない」こと。頭浮かぶのは数年前に北朝鮮が韓国に対してミサイルをぶっぱなし、実際に韓国市民が殺された事件。結論から言えば事件に対しての厳しい応酬はあったものの、戦争へと拡大することにはならなかった。戦争起きちまえばどうなるかはわかっていたんでしょ。

 戦争は一旦入ってしまったらやめることができない。対米太平洋戦争も「ある程度ダメージ与えたら終わればいい」というのが他戦線含めあげた握りこぶしを下ろすことができず、日本を消滅寸前に追いやったことを忘れていけません。戦争状態になれば個々人の人権なぞくそくらえになることとあわせて、9条を消去・退化させていい条件が見あたりません。

 戦争状態になると難儀になることのもうひとつとして「その時点で権力の座にいる者は、戦争がもたらす利を得るが、それ以外は権力者のコマにされ、消耗品扱いにされ投げ棄てられる」。経済の面から言っても会社、家庭から働き手が奪われる。国策に合った人間だけが求められ、それ以外の道は閉ざされる。

 童ぁどの可能性を、さらに言えば人生、詰む気か?

 大人がそうさせんでもいい社会をつくらなあかんのに、手前の政権の支持率やら、ストレス解消を目的とした自慰行為とか。そのために他人蹴りつけてせっせせっせと憎悪の種子を巻く行為には頭を押さえることしかできません。いまの社会の“主流”が…他人蹴りつけることで成り立つ社会だというならそれは退けて生きられる社会にしたいと考えています。

 おつきあいいただきありがとうございました。

「大人食堂」報道に。問われるべきは収奪政策推進の安倍政権。自己責任で打ち棄てる行為を許さない―至・7月国政選挙。

 いままで散々市民労働者を「じーこーせーきーにーんー」と詰り、ムチ打って投げ棄てる行為をして恥じない輩には大人食堂を批判する資格はありません。これが大基本でないと何も話が進みませんので。

 それを踏まえて。とうとうこういうのが表れる自体になったのか、とため息をつく思いでいます。それでも、救済への道が開かれたこは安堵。あとは貧困状態の可視化と実効ある対策をする。それが政治がとるべき態度。

 しかし、いまの日本政治はそうなっていないしする気もない。「安倍政権に味方してくれる人」は「そんな者知ったことじゃない。奴隷になるか自決しろ」という態度ですからね。最初は「福祉の場に逃がさないために“自己責任論”で詰る」。防ぎきれなくて救済の道が拡大すれば「自らの利益として吸い上げる手段として関与する」。埼玉で貧困層対応の学習塾にしゃしゃり出て実態伴わずに穴空けた事象ありましたね。対象者はどうでもいい、と考えなきゃそんな行動に出ません。

 緊張感を持って尚、権力には溺れやすい危険性があるのに、そこをすっ飛ばして「握っている権力を更に振り回」して、己を守りに来るのがこの政権、その勢力。「安倍さんしかいない」なんて言葉もありますが、「やったふり」以上の行為をする気もないのはわかっているので乗り越えるための行動にあたります。

 おつきあいいただきありがとうございました。