こんにちは。何がどーなったか、の大型連休も幕を閉じようとしています。3日は憲法記念日でしたが風邪ひいてす巻き、5日はこどもの日ですが人と会うのがしんどくて大船渡行きを一日キャンセルして気まま車走らせていました。そんなやつが両休日について語るのもおこがましいですがおつきあいください。
護憲というと「9条」が真っ先にあげられます。9条で平和を守れ、という言い方から「9条言っていればへーわ守れるんか」とよう言われますが、9条の使い方を勘違いしていないか、と。9条の存在価値は「戦争を起こす判断を権力者にさせない」こと。頭浮かぶのは数年前に北朝鮮が韓国に対してミサイルをぶっぱなし、実際に韓国市民が殺された事件。結論から言えば事件に対しての厳しい応酬はあったものの、戦争へと拡大することにはならなかった。戦争起きちまえばどうなるかはわかっていたんでしょ。
戦争は一旦入ってしまったらやめることができない。対米太平洋戦争も「ある程度ダメージ与えたら終わればいい」というのが他戦線含めあげた握りこぶしを下ろすことができず、日本を消滅寸前に追いやったことを忘れていけません。戦争状態になれば個々人の人権なぞくそくらえになることとあわせて、9条を消去・退化させていい条件が見あたりません。
戦争状態になると難儀になることのもうひとつとして「その時点で権力の座にいる者は、戦争がもたらす利を得るが、それ以外は権力者のコマにされ、消耗品扱いにされ投げ棄てられる」。経済の面から言っても会社、家庭から働き手が奪われる。国策に合った人間だけが求められ、それ以外の道は閉ざされる。
童ぁどの可能性を、さらに言えば人生、詰む気か?
大人がそうさせんでもいい社会をつくらなあかんのに、手前の政権の支持率やら、ストレス解消を目的とした自慰行為とか。そのために他人蹴りつけてせっせせっせと憎悪の種子を巻く行為には頭を押さえることしかできません。いまの社会の“主流”が…他人蹴りつけることで成り立つ社会だというならそれは退けて生きられる社会にしたいと考えています。
おつきあいいただきありがとうございました。