幼稚園、保育園に通う子どもの、あるいは学生の無償化法案が、今日成立しましたが、「無償化」と報じられているわりには「財源は増税した消費税」「条件が“実効性なし(当てはまる人が極少)”“使い勝手が悪い”」と、ここでも「やったふり」が幅を利かす。更にのめない要件を入れて一部勢力を反対に回す→ネトサポが「あーれれぇなんで野党さん反対しているんでつかぁぁ」と詰るのに使う。昨年の国会から対立法案でないのもこうして諍いの構図をつくる、てなやり方するようになってきて「ああもう!」ってしか思えません。
国会は全部が全部対立的な法案だけふされるわけでないから、部門的・部分的に一致することもあり、全会一致に至るものもあります。かつては全会一致にならない、ことに共産党の反対があった場合には「成立はさせたものの、大きい“穴”があるかもしれない」とその運用を警戒する様子もあったようですが、いまでは「全会一致は“反日”も賛成できる中身のもの」と嫌悪感を表す者もあり。こういう社会になったのか、とため息出てしまいます。
数年間、ある種の意思で社会をまぶし続けた結果、近隣国、あるいは現在の非多数派と聞くだけで嫌悪感を感じる社会にさせられてしまいました。「やったことでしか評価されない」のは社会の常でしょうが、そうでないのをまぶされ続けて「何をしても無題」となると「ではあとご勝手に」と言いたくなります。折れる人も出ないわけではない。タイムライン見ていると…てのもあります。
私ゃ投げ出したかないので、最期までこの道を歩き続けることにします。これで諦めたら逆転の芽も失ってしまう。そんな社会でいきる屍になりたかないので頑張ります。おつきあいいただきありがとうございました。