先日の兵庫県知事選挙で起きた様々な出来事は、それ単独でボンと出張ったような形ではなく、それまで社会で起きてきた物事が現れやすい場に出てきてしまったという印象を持ちます。
安倍政権ができてからそういう「真面目さを拒否し、不真面目あるいは他人をいじめることを上等とする価値観」が溢れ出て、政治の進め方までその考えに侵されたのでは、こういうふうに社会が壊れるしかなかったんでしょうか。しかも性質悪いことに「抵抗すれば抵抗するほど『奴らは嫌がっている もっとやれ』」という心理が働く。中毒と言うんですかね。
一番簡単に気づかせる方法はあるんですよ。
破滅っていう方法で。
ただ、それはダメージ大きいんですよ。特に弱者と呼ばれる人たちが持たない。だからせめて「強者の専横」が起きればどうなるか、を分かっている人たちが行動起こして、社会的規制をかぶせて決定的な破滅を防ぐという方法が必要なのでは、と思います。
あるキーワードをぶち込んだだけですぐ忌避感を示されるような現況。安倍政権を支持するような権威主義者にとっては「待ち望んでいたもの」なんでしょうが、それでも上記に記したような状況を人権主義的に打破するためには、こういう観念を溶かしていく。その努力は始めていかないとならないです。ま、諦め悪く生きることとします。
「ある単語を見るだけで嫌悪感」は私にもあります。スポーツの日本代表、といのがそれでしょうか。端的には「同調圧力の象徴」として感じています。暇できたら何か書きます。おつきあいいただきありがとうございました。