つなげ“希”動力-伊東勉のストラグル日記。

17年9月移籍、社会活動中心の記事を記していきます。

全否定で存在を壊そうとする行為は“殺人”と同じ。故に黙らそうとする動きには屈しない-蓮舫陣営への攻撃に。

 東京都知事選挙が終わってしばらく。蓮舫氏は敗退しましたが、これを機にとことんダメージを与えてあわよくば再起不能にさせてしまうという動きが見えるんですね。東国原某が蓮舫氏のことを「生理的に無理」とか言い叩いているのもその一環。とにかくある方向の意見は「生理的に無理」、もっと言えば単語が出るだけで嫌悪感もよおすようにして汚してしまう、というのが今の権力者あるいは権力付随者にとっての狙い。

 いわゆる「左翼的な意見・意思」出来事は全否定しようとするから、神宮外苑の問題にしても「私企業だから好きにやれる」といい、青年女性のトラブルなどに対応する事業には法の不備から要件が合わなくなった事象をもって「不正」と言い募る。

 前者は公共的要素もあるわけだし「私企業なんです」だけで済むわけがない。後者は仁藤夢乃氏主催のCOLABOが攻撃対象になってますが、その基礎に社会保障そのものに対して、自己責任論で固めて当事者殴りつけて声を出せない状態にして困ってる声を出させない。そういう事実があるとして改善を求める人たちには下劣な連中呼び込んで存在を汚して公的支援から遠ざけてきた。

 日本国憲法25条によって社会福祉というのがある程度考えられるようになった1980年代、「これ以上増長させるな」とばかりの攻撃を加わった結果、今では20世紀の段階にもならないような下劣で粗末な扱いをさせてしまっている。制度は残ってるけど心根に関してはもう19世紀以前…下手すりゃ15世紀ぐらいまで遡ってもいいような心根になっているのを目の当たりにしています。そういうものの1つ1つに諦めさせられないで起き上がっていくことこそ求められるんじゃないんですか。

 私のブログの紹介には「安楽死賛成派の敵である」ことを書いています。「社会保障に頼るような奴らは安楽死させてしまえ」というのが最近の志向のようですが、これだけ経済力や人権が発展してきたんだったら「全ての人間な納得いくような形で人生を終わらせてみせろよ」と思うわけです。7月5日は母が旅立って4年の日。なくなる直前に「これから勉は大変な時代を生きさせることにしてしまう。『中絶勧告振りきって産んだこと』が裏目に出るかもしれない」と。「安心しろよそういう社会に抵抗するために生まれたのが俺だから」と返しておきましたが。

 こういうのを書くと「ポエム」とか言って気味悪がる人もいるんでしたっけね。心境語って何が悪い?とにかく黙らせたいというのは分かったが、俺は黙んねえし、黙らせたければ物理的に黙らせてみせろ。私は上に記した心持ちで、くたばるその日まであがくことにします。