身の回りの経験、及び当事者との意見交換から「無理な延命はしない」までは承服。絶望的な心境に陥って長患いする人はいなかったから、「そこまで」は思えたのかもしれません。
人間社会、どこでどう“基準”変えられるかは分からない。日本では一世紀も経たない前に、精神障害者はじめ邪魔だと認識したモノを陰日向に棄てることをしてきた。そういう犠牲を経過して、憲法25条「生存権」を得ることになったし、それは拡充こそすれ削減させてはならないと思っていたのですが
何ですかね このグロさ
安楽死推進者の発言が、どういう経過であれ「存在し生き続けようという人を折る」ことに力を入れにきているのが気がかり。システマチックに安楽死反対派を叩きのめす方法を実践している人もいるし。いずれ、今の安楽死推進者のやり方のまま進められたのでは、ナチスドイツ真っ青の虐殺、起こされるのではないでしょうか。
もっとはっきり言いますか。
法律のくびきが取れたらこいら何するかわからん。
とりあえず、現存の生存権によって生かされてきた人間としてはこの立ち位置からズレることは許されない。この立ち位置からずれたら俺は生きる価値がない。最初に述べた「殺意を向けられる存在でいる」というのは、きょうこう(強硬・恐慌)的な安楽死導入に抵抗する上での意思表示です。