つなげ“希”動力-人生記録員、伊東勉のページ。

17年9月移籍、社会活動中心の記事を記していきます。

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「どうせ~だから存在無くしゃいい」は、困難越える力を失わせる―障害者の存在と安楽死議論から。

 過日のブログ記事で「障害者と世の中のつながりでピントが合ったら何か書く」と記しましたが、ピント合うような記述が浮かびそうもないので、いま書ける部分を記しておきます。

 私は自閉症・情緒障害を持ち、幼稚園・保育園はいくつか通った記憶がありますが集団生活になじめず、ほどなく“放逐”された記憶があります。小さい頃、盛岡とか花巻とかの何かの施設らしきものに連れて行かれましたが、あれは親の模索だったのでしょうね。

 当時は自分の状態での小学校入学がままならず、就学免除になる可能性もあったので、なんとか対応できる箇所がないか駆け回ったのでしょう。その後、地域の運動もあり盛小学校に情緒障害対応の教室が設置され、私はその一期生として就学にありつくことになります。

 そういう状況ではありましたが、近所の人とのつきあいはフラットにしていました。自分の出てしまう特性は特性として、一人間として踏まえなければならないことはきっちりと周りも家の親もわきまえさせていた。そういう教えがあったからかろうじて社会に引っかかることができたと思っています。

 障害を持つ子どもが故に 世の中の厳しい風から守らなければならないという心が働くことも否定できない。私の母は良く言えば“放っといた”、悪く言えば“ネグレクト”だったわけですし。いずれ「社会の中に自分が存在している」ことを忘れなければいいかなとは思っています。

 それを踏まえた上で。

 いま出ている「障害者は安楽死させた方がいい」との意見。「どうせ不幸にしかならないから」が言い分ですが、「そういう社会だ仕方がない」と諦めてしまえば、「よりマシに生きられる状況」を作ることができなくなる。勘弁してくれようと思います。

 私が就学免除の危機に合ったことは幾度か述べていますが、環境整備が社会発達のなかでなされなければ「障害者の通学」も実現していない。身近な一例あげれば一関南光病院が労働組合の取り組みにより診療環境が良くなって、自分のような情緒障害者でも対応できる特別教室も設置できる道につながった。“どうせ”で諦めたらそれはない。故に「なくなればいい」で済ますな、と考えるものです。

 おつきあいいただきありがとうございました。