つなげ“希”動力-伊東勉のストラグル日記。

17年9月移籍、社会活動中心の記事を記していきます。

『障害者を殺せる制度を作る必要がある』語る人は何なんでしょう。

 特にこの3週間、私の精神に恐慌を来していました。“根幹”思い返す言葉で我に帰りましたが、何とか“破綻”に持っていかないように努めます。


 6歳の子どもがなくなる不幸な事態が起きましたが、それに関わった親とそのきょうだい4人が逮捕されることとなりました。事実に基づいた行動に対しての罰を受けることは望みますが、付随してその「親・きょうだい4人全員が特殊学級に通っていた障害者」をピックアップし、それに乗せられた人たちが「そうだ、障害者は世に出してはいけない、処分すべきだ」という言論を吐いているのは何なんでしょう。
 自分自身が情緒障害者で特殊学級を経験した立場であり、親からは多くは望まれなかったものの最低限の「他者への危害を加えるな」ということだけは強くしつけられて世の中にいることができている人間としては、障害者=処分してしまえ、という意見には頷けないものがあります。
 なんですぐそっちに持って行くのか。
 その考え方は、いずれナチスドイツの取ったT4作戦、日本で施行された優生保護法のような障害者排除法に結びつく危険性が高いわけで。再び「劣ったものは処分されてしかるべき社会」にしてしまうつもりでしょうか。
 それに疑問を持つ人間には“きれいごと”という言葉が投げつけられますが、その“きれいごと”がなければ、我々のような庶民、人民は簡単に殺せる社会だということも覚えておいた方がよろしいかと思います。以上述べて今項を終わります。おつきあいいただきありがとうございました。