つなげ“希”動力-伊東勉のストラグル日記。

17年9月移籍、社会活動中心の記事を記していきます。

「権力者が持つ引力」と「二重基準」。

 私の書いてる文章は「わけわからない」ことも多いです。今回は更に輪をかける一文となりましょうがおつきあいください。

 大きな力を持つことを得てして引力と呼ぶこともあります。。「寄らば大樹の陰」という言葉もあるように、強力な力の下にいれば存在が保たれるから、「権力者になびく」ことはあり得るのでしょうが、その位置にいない人には不遇の扱いを受けることも。権力者の差配で基本的人権が奪われることがないように、権力の扱い方を厳しく見られるようになりました。

 昨日、「プロレス」という言葉を不用意に使った野党議員が激しい批判を浴びることになり、プロレス業界男女それぞれ最大規模てのグループとスポンサーがその議員を指弾することに。発言者の不用意さとは別に、「こうなっている図式に解せない思いを抱きました。

 この一連の行為で生じたのは「野党・左翼勢力へのマイナス視線」。プロレスという言葉が不愉快な意味合いに使われていたから、“地位向上”なり“汚濁防止”に気を使われてもいたのでしょうが、同じような用途で使った与党あるいは維新の議員には何も言わないできた。せいぜい業界出身議員にたしなめさせた程度ですか。

 過日の北朝鮮によるミサイル発射。緊張状態を悪化させる蛮行は批判の対象にしかなりませんが、一方で「都合のいい時には大掛かりに報じ、そうでない時はただ撃たせるがままにする(Jアラートなし)。「都合よく使われている」感じがどうにも、いう思いをここにも抱いています。

 権力者による庇護がなければ、非権力者の生存は簡単に弾かれる。その性質を利用して非権力者を踏みにじる行為を許してはならないし、その危険性があるから憲法によって権力を縛ってもきた。それでも「やったもの勝ち」は存在するし、このとおり「かさにきる」行為もなされます。

 それにどう向き合やいいか。

 少なくとも、「これが世の中の大勢だから、貴様らは口閉じて服従しろ」には屈しない、で歩んでいきましょう。