毎年夏には、大日本帝国が行った戦争行為に関して思いを起こす行事が行われます。
ただ。
それを見て「じゃあその後どうするのか」という部分に関しては不安も。日本が加害行為をし、自国民も痛め付け、国を崩壊に持っていった。その経過を
「戦争の愚かさを知り、ジグザグはあろうが非戦平和の社会を築く方向に尽力する」か
それとも「自分たちの属性が負けたことのみにとらわれて、“威厳を取り戻す”ために危害行為を加えてでも“自分たちが勝つ”という方向に走る」か。
拙稿では、ことあるごとに『自分自身が武器のどちら側に立ってモノを見ているか』という問いかけを行っています。武器を発射する側にいて、他者を危害を加えろとはやし立てる側にいるか、武器の刃先にいる人たちに想いを巡らして『危害行為を問題解決手段に使うな』と訴えるか。私は前者を嫌い、後者でモノを考えています。着目点は色々あろうかと思いますが、追究はし続けていただければ、と願います。
最近は非戦・平和の活動に様々な制約がつけられたり、あるいは「海外で日本の軍事力を使いたい」権力者に嫌がらせをされるケースも増えています。一例をあげれば「行事の自治体後援取り消し」。行事へのマイナスイメージを与えるとともに、公的施設の施設利用に重大な影響を与えるもの―自治体後援が利用条件になっている箇所も―であり、萎縮もないとは言いません。そんでもひるんでしまったらそこにズカズカと乗り込まれる危険性も。図に乗った輩ほど止めどもない行為をやらかす。なんとか踏ん張って活路を見出だしたいです。