ここ2日3日、日常の中でやることが多くなったて文章制作が空いていました。
森喜朗氏の女性蔑視発言や、愛知県知事大村氏リコール運動の不正などが伝えられ。どちらもひどいもので…行動は意思もってやるわけで、擁護もどんな理屈つけてでもできる。盗人にも三分の理ということわざがありますが、盗人は言い過ぎにしても、権力強者がそうでない人を蹴りつける行為に関してのは話は厳しく見られても仕方ないのでは。
ここ数年、何度もその類いの行動をやられ、加えて自民党のネットサポーターがそれを庇い立て、批判する人を二重に蹴りつける行為が当たり前になりました。言論で物事を解決する土壌が壊れている現状、権力者様を擁護する立ち位置にいれば自分が楽できるんでしょうけども 、結果として自分の生きる土壌・足場をどんどんどんどん削られる。その削られた土壌でゆるくない思いをしてるのを「あの左翼が」「あの女が」云々と語り、余計に攻撃を繰り返す。
自分から生意気に「目覚めろ」なんて言う資格はありませんが、10年ぐらい経っても自分の生活は良くならないならば、「原因は何なのか」視点を考えて考えてみる必要もあるのではないですか。
社会活動やって20年。よくまあ離脱もせず、諦めもせずに歩いています。自分が諦めても楽にはなれないってのがわかってるから馬鹿みたいに意地張って痩せ我慢して―体は痩せてないけど―この活動しています。諦め悪う生きてきますと、そればり述べて項を終わります。お付き合いいただきありがとうございました。