震災時のある寄合でなされた「合意」を利用して、れいわ新撰組構成員による「共産党も自民党の手先」イメージ焼きつけ行為がなされています。炎上が甚だしくて、もはや憎悪すら感じさせるほどに。
昨年の能登北陸震災直後に行われた6党の話し合いの中で、「各党党首が1月の連休時に被災地に行くのを見合わせた」ことがやり玉にあがっていますが、
①党首の移動が現地公務のリソースを奪うことの危惧
②各政党の救援・調査活動は現地組織・対処可能な議員によってなされている。「れいわ以外は見棄てた」はあたらない
③「この合意が『見棄てる雰囲気』をつくった」については、その時期に行われた個々の「ボランティア有害論」に指弾を向けるべきもので、この合意に向けるのは違いませんか。まして「6党内の維新/立憲議員が述べていた否定論→6党内の共産党にも責任はある」は言いがかり
④自力完結&ノウハウあるボランティアは行動できていたが、そうでないものを受け入れられる状態にはなかった(社会がそうする力を失っていることと併せて)
…ことを見ずに「行動できたれいわ・山本太郎は良く」て(ここまでなら一向どかまいません)「他は被災者を見棄てた」は違うでしょ。
これら一連の行為、ここまで書かれてきたものだけでも看過できないものですが、更に「他勢力との差別化の道具」に使われたのではたまったものでありません。そこに憎悪が加わっては尚更。「強い言葉」にひきずられて傷口を拡げられている様子も散見されている。1年前の“募金デマ”以上に性質悪いし、私個人で言えばこの一文で書いてきた以上の議論は控えます。「泥試合に持ち込んで優位性を奪う」やり口につきあいません。
蛇足的に。れいわ勢力支持者が「力をつけたい」と思うのは、物事為そうと思ったら当然でしょうが、短絡的なやり方は傷と敵を増やすことにもつながります。易々と「~~をれいわによこせ」などと語るのはご遠慮いただくよう考慮を。
発意に至るまでの敷居が低いSNSの憎悪扇動で力を伸ばした勢力の真似を“左・リベラル”も、と活路を見いだす人も少なくないですが、それは活路ではなく隘路にしかならない。「真面目に人権・科学的社会主義を語る」こそが必要と示して項を終わります。