連投の記事です。
先ほどは赤旗配達者の事故・逝去に関する記事を書いてきましたが、その過程でさらなる性質の悪さを見かけたので糾弾する記述をしていきます。
しんぶん赤旗は言わずと知れた日本共産党の機関紙で、12面には党員のお悔やみ欄が記載されています。まもなく私もそこに載るでしょう。党活動中/赤旗配達中の逝去は特記でその中身が書かれます。昔はさらに個人情報的な記述もされていましたが大幅に削られ、「~日逝去→お悔やみの日程→主だった役職」が紹介。この記述は交流ある人の人事を知るための一環ですが、これも悪意に使おうと思えば何ぼでも使えるんですね。
先の案件でX・Twitterの記事を見ている中で下記のようなツイートをする者がいました。
毎日毎日お悔やみ欄の記事を見て、年齢・党歴を書き、その後に共産党批判ですらない呪詛を連ねる記事を書く、と。
これ、組み合わせて書くのは何なんでしょう。
「人生歩ききった」人を貶めるためでしかないただの共産党憎悪・侮蔑。よくそこまで他者を蹴れるな、と思うわけです。
堪え切れない重い気持ち感じましたよ。記述者にとっては敵対している組織かもしれないけど、そこにいる人間だからオートマチックに憎めるのか、と。
考えるとピリッとくるものはありますね。
共産主義者以前の一個人としての人づきあいとして、折り合いの悪い組織にいる人とのそれも多い。なんでも折り合えるものではありませんが、それでも「社会はそういうもんだ」と思って、組織としてはぶつかり合いもするけども、個人的部分では付き合いも持てる、というふうに一応49年生きてきたつもりです。それを考えれば対立者だからといって、お悔やみに泥を投げつける行為はできません。
「何言ってんだ貴様 政敵に対してなくなった時に批判してただろう」
…そうですか。私が批判しているのはその性的と言われる方々の政治・政策的なこと、あるいは弔意の強要やトーンポリシングであって、対象個人が生きてきたことそのものを批判した覚えはありません。そこのところごっちゃにしないでもらえますか。
そのことを考えると、このB級グルメ大好き(@udn1957tako)のやった行為を許しません。共産党員であった人の存在そのものを誹謗する行為に、私は敵意という言葉を超えた怒りを持つものです。