つなげ“希”動力-人生記録員、伊東勉のページ。

17年9月移籍、社会活動中心の記事を記していきます。

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今年は憲法記念日に憲法を語る/対話と「言葉を武器とした暴力」は別物、か―COLABO攻撃の件から。

1)憲法記念日ですか。

 去年は何かを引きずっていて何も語れなかったから、今年は何か語るとします。

 この3年で傷ついた社会は、日本国憲法にの下にある人権思想そのものが「自分に利益をもたらさない邪魔者」でしかないととらえられるところまで来てしまいました。25条生存権にしても「役立たずを殺してしまえば俺たち“普通の人”が楽になる」だし、36条拷問の絶対禁止にしても「絶対がとれても禁止には変わりない」などと述べて“施政者の姿勢後退”が呼び込む“拷問の解禁”に助力している。

 『悪い状態だから今を変えたい』気持ちは持ちがちでしょうが、現憲法があるからまだマシでいられるという部分があるのに、それが邪魔だからと市民の側の権利を守る条項を“解除”する目論見に乗せられてないでしょうか。『自分が苦しめられているから、憲法に書かれている条項通りに権力者に実行させろさせろ』ではなく『自分が苦しいから、救われている人たちを救えなくしてしまえ』というのはあまりにも無体ではないですか。

 色々条文ごと話す以前に、そこから考え直さなければならないほど、認識が壊されていることを残念に思い、認識の再構築していかないと、と思っています。

2)認識の破壊、ではCOLABO攻撃の一件が。

 COLABOなど社会福祉事業を破壊している暇空茜・水野清晃は、現れている記述や現象を都合よくとらえ、自分が正、敵はNOとなるようにカスタムしてあとは突進し、アンチCOLABOの憎悪を形成。ただし、あまりに独自解釈が過ぎて、「行政のお墨付き」狙った行動では門前払いの連続です。

 本来なら“問題なしで終了”なはずですが、暇空水原は矛を収める気が全くなく嫌がらせと福祉事業の破壊を継続。“福祉事業で救われる人へのアクセスを壊す行為は許さない”の一点で対峙してきましたが、なんと言いますか、このしつこさに色んなモノが削られます。

 私が壊された事象でもそうですが、あるベクトルに向けられた意見にたいしては何を言われても全否定し、その人の意に沿わないことだけを許してやる(肯定する、ではないことに留意)。これをいつまでもいつまでも袋小路のまま行えば人間壊れる。相手を壊していいと思えるから、デマを何ぼでも撒けるし、通常の人間の対峙ではやらない行為も平気でできる。これが簡単にできるようになってしまったことは、ささくれだった人間社会の形成に与してしまいましたね。

 「この循環どーにかしないと」の先を、私は見出だせない精神状態ですが、できるところまでは諦めずに語り続けるとしましょう。