国に対しての人権救済の裁判を起こせば、なんだかんだクソみたいな理由をつけてその行動を批判する輩が多くなった。
鹿児島の冤罪事件でも
名古屋の入管死亡事件でも
そういう書き込みが嫌と言うほど書き込まれた。
関東大震災の朝鮮人虐殺事件に至っては「なかったことにしよう」とする意志が強く働くようになった。
ここ数年の色々な意味での厳しい環境が他者への寛容度を著しく減らしたのだろうか。だからといってそういう行為を「仕方がないですねそうですね」で済ますわけにいかない。
むしろそういう事を理由にして心中に持っていた、醸成されていたゲスな感情が吹き出した、としか見ることはできない。その極致が「社会の負担減を理由にした安楽死」の推奨だ。
最近Twitterのトレンドで見過ごせない伸びを見せている安楽死推進のハッシュタグ。悪いけど私はその立場に立つことはできないししない。病気になってどうしようもなくなったときは治療中止を求めることはあろう(尊厳死)が、むざむざこんな輩の手にかかって制度を利用して殺されるほど物分かりは良くないということはここに表明しておきます。