やまゆり園事件があってから6年になりましたか。時間過ぎるのがあっという間で、しかも事件で起きてしまった傷はより深まった、としか言いようがなく。
10年前。民主党政権から自民党政権に変わるあたりに、障害者活動の集まりで「障害者を社会から排除する空気が濃くなっている」という報告がなされていたのを目にした。社会権が確立されてからこっち、改善の方向に進んでいた障害者の人権拡充はそのまま続くだろうと思っていたけども、その話は暗雲のように垂れ込めて、10年経ってどうなったか言えば「甘かった」としか言いようのない状態に。
そう思わされたトピックは「やまゆり園」。障害者に対して存在価値を認めない「名前で呼ぶ価値のない者」が19人の命を奪った事件。そういうことを許してしまう空気にさせてしまった自分の力不足をのろった。どうすれば良かったのかという自分への問いかけはずっと続いている。
「名前で呼ぶ価値のない者」は当時の最高権力者に対し、加害の許可と自らの免罪を要求していた。本来であれば、最高権力者は「止めるメッセージ」を出さなければならないはずだと思っていたが
当時の最高権力者は
そういうメッセージを発さなかった
治安維持と犯人の逮捕に関しての指示は出したが
「障害者嫌悪をやめさせる」方面でのメッセージは出さなかった
ふざけんなあなたの役割は何なんだ
政治的に立ち位置を超えた怒りをもった
政策的立ち位置で別れるのは仕方がないが
人間性まで疑わざるを得ない行為に
こういう「雑な扱い」に、そこら辺あたりまでの数年間までとは質の違う怒りと不信感が植えついた。
6年。
「多数派の役に立たねえ■■■■は存在を奪われて当然だ―という空気が深まって、それに抗おうとする人たちの力は削がれる状況が続いている。
これで諦めさせられてしまうのか。
そいつはお断りだ。
これで膝を屈したら、俺が生きる価値はない。
生まれてきた経緯を考えたら諦めるわけにいかない。
生きている限り、難儀できる。
「難儀させる物事」はいつかはらう。
終点に着くまでは、ただ歩み続けます。
2021年7月26日 伊東 勉