つなげ“希”動力-人生記録員、伊東勉のページ。

17年9月移籍、社会活動中心の記事を記していきます。

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やまゆり園事件から5年。東京五輪で現れた現象と共に考える。

※7月25日に完成させていましたがアップをしないでいました。遅れてのアップご容赦ください。

 7月26日といえば、神奈川県やまゆり園で大量殺傷事件が起きた日。あれから5年が経ち、この事件から社会が教訓を汲み取ったかと言えばさにあらず。残念ながら、「生産性のないは死ね」という意思がだんだん増しているのが現状です。

 考えすぎ?

 考え過ぎだったら、あれ以降に「透析患者は死ね」とか、社会保障を受ける人への攻撃とか、コロナ禍を利用しての「社会保障受給者の大量処分(オブラートに包んでますが実際はそうだろ)とかいう話は出ないでしょ。こういうことが相次いで、数年前から精神的なスイッチが簡単に落ちるようになっています。ずっと刃物を突きつけられているような感じがして。その過程の中で、人に対する不信感というのも持つようになってしまいました。

 そしてオリンピック。オリンピックはじめ、スポーツの国際試合を見なくなってしまったのは、「スポーツを利用した国粋主義権威主義への服従を求める動き、敵対する者への攻撃」が甚だしくなって、嫌になって。それも不信感に拍車をかけます。

 そして、始まったオリンピックので巻き起こる 不服従者への攻撃。「お前ら反対派がオリンピックを封じ込めようとしたから悪いんだ、報いは受けろ」―コロナ感染やオリンピック推進側の不備、不誠実な行動で疑問を持ち、五輪開催はできないんじゃないの、と理由示してきましたが、先に述べた部分に加え、反対派に対してずけずけと心の中にまで踏み込んで「いいじゃん楽しめよ」「もう無理なんだから応援しろ」などという言葉が飛び交う。そして少しでも容認するような態度を見せれば「おまえは応援するな」という批判と「誰々も応援するようになった、お前も落ちろよ」という同調圧力と。

 オリンピック、ひいてはスポーツという単語を聞くだけで具合が悪くなる。そんでも、このオリンピックには納得できない、してはだめだ、という旗を降ろすことはできない。これで降ろしてしまったら「強力な力の前には服従するしかない」というクセをつけてしまう。強力な力によって生きることさえ奪われてしまったやまゆり園事件と重なってしまうのはその部分。正直しんどい日々が続きますけど、辛抱強く生きていけば活路が見出せるはず、と思いなんとか生きてきます。

 お付き合いいただきありがとうございました。