毎年のまとめに書こうと思っていることをここ数回書いてきた特集記事で記しました。ここではそこで書けなかった部分を。
2024年は能登北陸地震という重大な被害を生んだ災害で始まり、先日は韓国での飛行機事故。総じて「強大な力に人命が簡単にもぎとられる様子というのを目の当たりにしてしまった1年と思います。
では、そういう不条理に抵抗する力は保持し続けているのだろうか、と言うとそれも不安・不満があります。個々人の権利・人権に基づいた施策を後退させようとする動きを、権力者側だけでなく、インフルエンサーと呼ばれる人種がひたすら諦めることを強要し、折れて軍門に降る人も出てくる…そういう動きに対峙してきました。
ところが。
今は「怒りを表して現状を変えようとする人」の存在と煙たく感じるようです。加えておだぢバカで目立つような人が好意的に取り上げられ、地道に必要なことをコツコツとこなす人の存在は軽んじられる。
諦めろ諦めろの強要を基に、「社会の中では生産性のないものは自ら退場しろ」と言わんばかりの言葉が並びます。それに違うだろと言い続けてきましたし、「諦めろ」が通る社会になったら、今自分が到達できている行為も為せなくなるから抵抗しているわけです。
まもなく明ける2025年、国政では参議院選挙、更に総選挙のある可能性も。2020年代に入ってからの選挙では「左翼的・人権的な意見を保持し続ける」を個人的な目標にしています。ポジティブに生きられる人はその意欲のままで羽ばたけばいい。たたし、その位置にいない人に「死んでしまえ」等とは語らないでいただけますか。
簡単に悪罵が届いてしまういまの社会、生きるという意思を保つことすら簡単ではないけども、諦め悪く歩いて行くことを誓います。
2024年もありがとうございました。
2025年もよろしくお願いします。