0️⃣ まずは…今回のリンクにそのまま市川・市川寛二さんの引退試合に関する記事を報じるバトルニュースへのリンクを貼ります。試合内容など何が起きたかに関してはこちらのリンクをお読みいただければ幸いです。
1️⃣ 先週発売された週刊プロレスでは「世界最弱レスラー引退!」と銘打った5ページの特集記事が打たれていました。プロレスの世界を語る時にこの人なしで語れないと言われる圧倒的存在感を見せる棚橋弘至さんが対戦相手。師匠のウルティモ・ドラゴンさんが語る「誰が見ても弱い」選手が圧倒的存在感を持つ棚橋さんと対戦してプロレス人生を終える。週刊プロレスでは別なコラムで、市川さんの存在を「(要旨)自分の存在価値を見いだす立ち居振る舞いをし続けていれば引退試合を開催してもらえるほどの選手になれる」と評しています。
DRAGONGATEに限らず、才能に溢れた若者がケガを負い引退していく場面が少なくないプロレスリングの中で、25年大きなケガをせず存在を保ち続けた。これだけでも市川さんの凄さというのを感じていただければと思うものです。
2️⃣ そこで。
前にもちょこっと書きましたが、野球選手としての私は「引き際を誤った」と思っています。
2005年から色々な病気を持ち始め、それまで年に1回はできていた草野球のプレイすらできなくなり、野球に関われる時間は全て社会人野球に費やしてきた。そのこと自体は1ミクロンもありませんが、野球選手として明確な引き際を持たずに過ごしてしまったというのも事実です。
2009年に起こした心筋梗塞でプレイヤーとしての可能性を閉じ、一方で2011年の東日本大震災は社会人野球・赤崎野球クラブから身を引くことを選択肢から外して…十数年経過。これだけ厚く・熱く野球に関わっている私ですが、野球選手としてのプレーは途中出場しレフト前ヒットを放った大船渡市民体育大会が今のところ最後です。硬式社会人野球では…そもそも選手登録している期間が圧倒的に短かったというのもありますが、出場記録はありません。
3️⃣ 裏方・雑用という位置でチームの勝利を目指して活動しているのはその通りですが、「野球選手として燃えたぎっている想い」はあるんですよ。
ただ、現実も分かってますからね。
だいたい利き腕の右手でボール、投げられないじゃないですか。心臓の病気もあり、野球のプレーに耐えられる体でもないことも分かってる。
自分が野球選手として耐えられないが
それでも情熱だけは燃え続けている
…何なんでしょうね、この矛盾した感情。
人間社会ってのが全部が全部割り切れるものではないことと
自分が思ったことが全部実現できるわけではないものと。
この2つを分かった上で、悶々としている自分がいます。
4️⃣ 自分にとって市川さんは、自分のなせなかったことを実行できているすごいレスラーだと認識しています。
何しろ対戦相手が棚橋さんですからね。例えて言えば俺が大谷翔平君と対戦したようなもんなんですよ。その棚橋さんに、強さはどうしようもないまでも、存在感は互角以上に持って行ったそういう戦いができたことを羨ましく思っています。無論「壊されないだけの鍛練」を25年以上続けてきたことは見逃していけない要素。
12月15日の誕生日に記した通り、社会活動も社会人野球も「自分の能力以上のものに背伸びし手を伸ばして挑み続けてきた」ものです。来年以降もその歩みを続けることでしょう。
「上手い生き方」というのもできるのかもしれませんが、この2つの軸を外すことは考えないし、離れるようなことがあれば俺の存在価値ってのはなくなるんでしょうね。
この先どれだけこの社会の中にいて活動できるか分かりませんが
背伸びして
手を伸ばして
もがき続けて生きていく。
そして、その存在することそのものを壊しに来るようなものには、それがどんなに強大なものであろうと退かない。
そういう心持ちで対峙していく-能力考えればどうなんだかと言われるのは何重にも承知の上で-心持ちで歩き続けていこうと考えております。