しばらく前に「公選法への過剰適応」を疑われる発言を見、今日は従軍慰安婦問題で反動・歴史修正主義の手に堕ちた者が共産党離党を表明した場面を目にしました。「ある位置にいる」ことがその人の価値を決めるのではなく「ある位置にいてどう自身を研いでいくか」が問われるんだな、というのを再確認しました。
個人の行動がより集まって大きな行動になる、それを受け止め、物事を動かす強力な媒体になるのが「団体」。大きな力を発揮するがゆえに細かいどさ視線が行き届きづらい面もありますが、それを両立する努力も重ねられてきました。
団体と個人、何か相反があると目線は大抵個人の側に暖かく、団体に対して厳しいそれが行きます。第三者が力関係だけを基準にみれば「それもあり」なのか知りませんが、「堤防も蟻の一穴から崩る」という言葉もあります。ひとつの団体についての目線だけで見て、ほかに存在しているより大きな団体との力関係を見ず、結果としてある団体=存在を潰してしまう。そういう破壊行為を許してやるほど私は寛容になりません。
―以上の通り「チェックポイント」は入れておきますが、私は愚直にたたかっていく、「風がないなら風を起こす」で歩いていきます。
◆7月5日投開票で東京都知事選が行われます◆
「市民の生活に根差し、ゆるぐない状態に陥っても生きていられる社会を」
「マスコミなどを悪用しての印象操作ではなく、質実ある実行を堅実に行う行政を」
という目線を乗せ、宇都宮けんじ氏の活動にご注目ください。