SNSもひとつの社会。そこにもいろんな人間模様が見えまして、「決定的な瞬間」というのも目の当たりにしたことも。ある政党支持者の方がヒューズぶっとばして対立党派支持者と決定的な亀裂入ったり、攻撃に対して反撃したらそのやり口に余計ヒートアップしたり。
そんで近日中では伊藤詩織氏に攻撃を仕掛けていたShin(黒瀬ではない)某が、自身の意見を「自身の意図に反する形で掲載された」ことをもって逆ギレし、より執拗な攻撃をしている様子を見てしまいました。私は不勉強なもので英語を読み取ることができませんが、情報を拾うとShin某の言葉の拾い方が乱暴だな、と。私憤にとらわれて「伊藤詩織をぶっ叩く」第一に突っ走っていますが、醜いとしか。あげくの果てに「日本人は痴漢しない」の無謬論固められている様子には軽蔑すら生ぬるいと言わざるを得ません。
ディベートという言葉が世に広まってきた頃にひとつの不安を持ちました。「技術」さえ整えばどんな**な行為も正当化できるような言い草に。「どの立ち位置にいても踏まえるべき姿勢」は面倒くさいものだったりしますが、その反動の結果がこれか、と思うとため息しか出ません。しかしため息だけではなんもならないので打破のために存在し続けます。おつきあいいただきありがとうございました。
◆7月5日投開票で東京都知事選が行われます◆
「市民の生活に根差し、ゆるぐない状態に陥っても生きていられる社会を」
「マスコミなどを悪用しての印象操作ではなく、質実ある実行を堅実に行う行政を」
という目線を乗せ、宇都宮けんじ氏の活動にご注目ください。