今晩は。今日は昼に介護保険の学習会、夕方に気になる行事があったので興味は持ちましたが今月は緊縮財政でいかないと…ということで参加を断念。いまは落ち着いているところです。皆様はいかがお過ごしでしょうか。タイムラインお付き合いよろしくお願いします。
◇明日が“3・11”から7年、ということで思うものは多々ありますが、3月10日にもそれがあります。こちらは起こされてから73年の東京大空襲です。
赤旗日曜版にある人の東京大空襲経験を基にした絵本の紹介がありました。その方は1945年3月9日深夜に子供を出産。しかしその直後に東京大空襲が発生。本人と生まれたばかりの子どもは医療関係者の尽力で無事でいましたが
12人の子どもは全員が空襲の犠牲になりました。
奇しくも、先日の岩手日報で原爆と東日本大震災、両方の被害経験された方の記述が。両方とも、その被害の証言でよく使われる言葉が「人がモノのようにされていまう」類。爆弾にせよ、津波にせよ、その渦に飲まれた者の命を簡単にもぎ取る。
東京大空襲の分かっている分の犠牲者は約10万人。早乙女勝元氏の書物で「3・10」含む東京地区の空襲の模様を見ましたが、凄惨以外に言葉がありません。どんなものかは…実際にご覧になられた方がいいでしょう。
◇人が「モノ」扱いになる。
「3・11」でも。巡り合わせで大船渡に居なかった私ですが、SNSに書くことができないことも含んだ実情は聞いたり何だりしています。書くことができる範囲で書けば、ここでも「人がモノのようになっていた」。その中でも生きていかなければならなかった、というもの。
交互に記してきましたが…先の「12人の子どもを空襲で失った」話。多くある話の中のひとつでもあるのでしょうが、実際にあった苦い、苦しい話です。人間は死が避けられないものではありますが、不条理なそれはない方がいいですね。当然ながら。
空襲と言えば戦争。戦争の危機と言えば、朝鮮半島においてその危機が高まっていましたが「実際に起きたら朝鮮半島と日本(米軍基地がある都合上)が壊れる」と。実際壊れたら影響は当該に限らない、で世界各地から「北はどうであれ外交取り組め」と指摘がなされました。トランプ米政権も軍事優先的な姿勢を見せていましたが、「このまま突っ込まして戦争にだけはするな」の各方面からの取り組みがあって、外交を使った接触をすることに。
色々イガイガづう感情はありましょうが戦争になれば「総力戦の殺し合い」。社会が壊れる。“3・10”東京大空襲のような惨状をあちこちで見せるのか?犯罪行為は犯罪行為で対処すればいい話。まして様々つながりある国や民族ですから、感情悪化は「複雑な環境にある人」を生き辛くするだけです。
そういう意味で冷却時間つくれたこと自体良しとします。
◇今日はあちこち飛びながらの話勘弁してくださいね。
明日に迫った7年目の“3・11”。当日大船渡にいなかった人間が言うのも難ですが、震災復興は「立派な建物ができればそれが成る」ものではありません。生活と尊厳が侵されない復興が筋。昭和初期の津波を経験した知り合いのおんちゃん曰く「津波は被害を二度呼ぶ。津波そのものと、それが呼び込む貧困と―」。その経験談が頭にあるから「殻だけ」の復興呼ばわりにはどうにも…という思いを持ちます。
ただ、「震災のキズ」からの解決手法に拙稿・拙者としては危うさを抱いてきました。「キズから回復した姿を見せるために荒ぶる」「過剰に尊大な態度を示す」―強くなり方を間違えてないか、と疑問を呈し続けてきましたが危うい域まで来たか、と。嫌う人はとことん嫌う日本国憲法ですが、ここに述べられている「不断の努力」。安倍政権は反対意見の存在価値を無くすことで存在を保ってきましたが、それは「無理を押せば道理が引っ込む」もの。その手法による日本社会破壊を止めないと、ですね。
◇“3・10”東京大空襲に“3・11”東日本大震災と災禍に巻かれた際の人間の弱さを思い知らされる日が続きます。そこからどうやって良ぐ生きるか。少なくとも利己目的で他者の尊厳奪うべく銃口を向ける輩には成るまい、と。少し前にそういうことしたのいましたから。そればり誓い項を終わります。