“3・11”東日本大震災が起きて13年の月日が過ぎます。時間が経過することによる風化も気にかかっていたところに1月1日に起きた能登北陸地震は自然の破壊力を改めて突きつけ/思い出したものとなりました。
日曜夜ですか…ニッポン放送は日曜日の夜、放送終了時に緊急地震警報をの試験電波を放送しています。どういう状況になったらこの警報が放たれるかというのを説明しますが、東日本大震災に遭遇するまでは私はどこか他人事としてその放送を聞いていた部分が。
ところが。
あの日の強烈な揺れの後にラジオから聞こえた「試験電波ではない緊急地震警報」とその後伝えられた強大な被害。その後の13年の歩みというのは今更私が申し上げるものではありませんが、一度できた大きな“断層”というのは悪くも良くも影響を与えました。
「復活・復興の仕方」という部分に関しては残念だと思う部分があります。阪神大震災以来、ボランティア活動に目が行き、震災の公的支援も拡大されてきましたが、震災後力を持った人の「性格」がこの流れに逆バネを生み、「どんな状況であれゆるくない状況に陥るのは自己責任」だという空気が蔓延。「社会全体の統制」のみを頭に置き、個々人のゆるくなさはわがままととらえ、それを解消しようという動きは後回しになってしまう状況が生まれました。能登北陸地震に対する政府・権力の対応にもそういう部分が明らかに見えてしまっているのが非常に残念でなりません。
今日午前中、大船渡に寄ります。大船渡の空気を吸って、浮かんだ想いについてはまた後刻欠かせていただきますが、あの日にあったこと、そしてその後の社会がどう動いてきたかを思い返し、その上で先ほど申し上げたようなゆるくなさを解消できる社会をつくっていくことで『震災のかたき討ち』を果たしていきたいと考えているものです。