3月11日近辺、私は大船渡・陸前高田にいました。残念ながら日程は縮小、知人との面会はならずで思うようにはいきませんでしたが、「3・11を忘れない」行程は歩んできました。
自宅で休めず、たどり着いたのは道の駅・高田松原。そこではどうしても12年前を思い出します。地震が起きても「大船渡に行った際の二次被害」を懸念して1ヶ月の待機と情況改善を経て4月上旬にようやく大船渡に。住田町まではいつもの光景が広がっていましたが、暗くなると「停電」の余波から真っ暗に。権現堂橋から街中に入ると、瓦礫がまだ処理されてなく、盛町も南部に来ると壊された街並みが見え、そこからは地獄絵図を見ながら当時の道の駅高田松原に。道の駅の入り口に車を止め、真っ暗で、星空だけがやたらきれいで、津波によって何もかも壊され、生気を感じない陸前高田の様子を感じました。
そして翌朝。自分の知っている高田の街並みがなくなって惨状と化した高田の様子を目の当たりにしたショックは一生忘れないものになるでしょう。
あれから12年経ちました。
12年の月日をかけて復興の作業が行われ、街の形は戻ったように見えます。ただ震災以降、社会全体が「強大な力にはかなわない」という諦観に陥ってないか。強さの在り方を間違えていないか。ここ数日の文章でも書いてきましたが、そこは気にかかっている部分です。
11日の野球の試合で、佐々木朗希君やチェコ野球代表チームが見せた「伸長する可能性」というのも諦めないで追求し、しぶとく生きることにします。