本来なら、がっつり大船渡に入っていたい所でしたが、花粉が爆発的に出る予報及び投薬の影響で回避。夜にWBCパブリックビューイング大船渡会場には行き、日本代表―チェコ代表の試合を最後まで見届けたあと、高田松原道の駅に来て呆けています。震災から一ヶ月後に帰郷した際、「それまで知っていたふるさとの光景」が尽く壊され、当時の道の駅高田松原に降り立った際に生気を一切感じなかった様子を忘れることができません。
色々と精神的に磨耗し、正直他者と会う、という行為がしんどいです。会いたいけど、会うのがしんどい、という矛盾した状態です。飾らないで言えば、辛いです。社会活動家としては様々語りましたが、伊東勉個人としては、辛くてしんどい。
それでも「寿命尽きる時まで懸命に歩く」ことはずらさないで生きていきます。生きてれば解決する術もあるでしょうから。とりあえず以上とします。