つなげ“希”動力-人生記録員、伊東勉のページ。

17年9月移籍、社会活動中心の記事を記していきます。

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社民党議員のTwitter撤退と「モノを言う流儀」。

▽昨日Twitterをやめられた方に罵詈雑言を浴びせるだけでなく、挑発をかましてTwitterに戻ってくるように求めている様子を見た。高尚な言い分を並べていたが、結局は「玩ぶオモチャをよこせ」レベルの話。無視していいでしょう。

 私も私で、議論をさせれば不快しか与えることしかできず、次そういうことをすればレッドカード…を突きつけられているが故に議論に加わらない(反証あれば引用して自分の意見として出して)ことを罵りに来る方も出てきました。

 罵る分には結構。

 それでも議論には応じない。

 自分も生意気に様々書きますが最後決めるのは当事者の方、というのは離してならないものと考えています。

 だども「思い通りにならないのが不愉快」だからと、必要以上に手を突っ込む人も。

 「あなたは私の人生、生活に責任持てるのか」

 この言葉を置いときます。故郷とのつながりに必要な場を奪うな。

―夜中落ち着いて―

▽昨日Twitterをやめた地方議員。その政党の地方議員の中では一、二を争う情報発信力を持ち、私も目にすることが多かったので閉鎖は残念です。更に追い撃ちをかける輩もいますが、「やっていることがストーカーと変わらない」としか思いません。SNS、ことにツイッターははじめるための敷居が低く「制限」が薄いので「一人でアカウントを多数持って圧力を与える」ことも可能です。で「石礫」を投げつける側は一人ですが、投げつけられる側は多数からそれを受ける構図を覚えておいてください。

 「じゃあなんだ、お前だって多数対1の“多数”側に身を置いたことあるだろ!」とも言われますね。

 ないわけではありませんがね、その前に「1」の側にいた人がある種族に対して「刃を向けている」危険行為見かけたから押さえにかかったわけでしょう。各々を混ぜるな。

 今回ツイッターやめた方は結構双方向の発信も意識されていて、その中でのしんどさも持ってしまったのでしょう。酷いのは無視できればいいけど、「ガンガン暴力を振るいながらそこから逃がすことも許さない」構図を作られては…過去にその構図の中で壊された者としてはやめる気持ちわかる。存在そのものまで抉っておいて、SNSの媒体ひとつから撤退したことにも「ご遺体を殴り付ける」が如く扱う―更に「逃げるな戻れ」と述べる行為は、昨日見た「軍人が女性の髪をつかんでどこかに連れ去る映像」を思い起こすもの。

 自分以外は自分を楽しめるための玩具…じゃないよ。 声のデカイ奴が巾を利かすだけでなく、異を唱える者を踏みにじりに来る中で「多数者」とのたたかいに疲れ果てて、SNSから撤退、あるいは「たたかいそのものからの撤退」を選ぶ人もいます。一部ではありますがたたかいに加わる人に「過剰なまでの戦闘性」求めるのもいますが「回りも見ろ」と。

 心臓が弱り、精神疾患も顕在化して約10年。この世に存在し、意思を顕にしたたかいの場にいることそのものが実は大変なことなんだ、というのを思い知らされています。戦闘性と協調性を維持し続けて歩むのが目標達成への条件。この一言にまとめを凝縮し、項を終わります。

▽痛い負け食らって、心が千切れ千切れになっていることはお察ししますが、それも仕方がないというには限界もあります。

 「戦闘力」の高さ故に、その能力が及ばない人に対して「お高い目線」からお話しする人は、反収奪、反政権側の人にもいたりしますが、大抵は集団的な行動を図る中で補正されたりするものです。それ無しに「思いのまま行動」するなら、その取り組みは瓦解するでしょう。行動の再考を。

 能無しだから

 議論への対応力がないから

 「戦闘力」が低いから

 お前は黙れ、と。

 そんなの理由に「黙れ」言われてハイそうですかと従うか。むしろ黙ってしまったら「いい様にされる」。だから「黙らない」。

 批判はどうぞ。

 ただ、切り捨てて切り捨てて切り捨てて…ってやっていってどうすんの、と。切り捨てたモノが最後に凶器になって跳ね返ってくる、ということもある。厳しい視線も結構ですが一線は保ちましょ。

 倒すべき相手と同じことしたらわんない。

▽オリンピックで入賞やら3位以内表彰やらあったようですが、VTRみる余裕ないです。今日の記事制作はここで失礼します。