つなげ“希”動力-伊東勉のストラグル日記。

17年9月移籍、社会活動中心の記事を記していきます。

生活保護叩きは手を変え品を変え。「方程式」の打破と生保の実情。

 お晩でございます。山下達郎さんの歌が流れるようになりましたね。いかがお過ごしですか。心身の調子が低空飛行で、昨日今日とあった基幹的なイベントを欠席。何とか巻き戻してはいますけど、元が悪いからどうしようもありませんね笑。しばらくタイムラインおつきあいください。

 社会保障の相次ぐ切り棄て案。タイムラインでもかかれていたし、私自身も感じていましたが、社会保障の削減にひとつの「方程式」つくられていること。「○○よりも●●の方が恵まれている。だから●●の施策は削減だ」と。かごめかごめかよ。ある時は「悪役視で削る対象」にしておきながら、ある時は「比較対象で“可哀想”視」。それをぐーるぐーる回して、総じて切り下げの方向に進ませる。進ませて“浮いた”部分は、富裕層・オトモダチがガッツリ奪い取るという構図をどれだけ見せつけられたか。ぶっざけ言えば「もう飽きた」。

 で、生活保護は他の社会保障制度の基準になるもので、大袈裟に言えば「生活保護コケたら他の制度もコケる」性格を持ちます。更に言えば最低賃金制などにも関わります。それを考えれば受給者憎しで切り下げに荷担していていいわけではない、ということを認識願うものです。

 もうひとつ、認識願いたいことが日本社会における就労の場・必要な就労のスキルが高度・高壁化していること。それはパソコンなど技術面からでもそうですし、切り下げられた労働者保護の薄さから一度ドロップアウトした方の復帰が容易でないことも考慮を。私は後者(心身の故障による一般企業からのドロップアウト)が引っかかり、一般〜の就業はできていない身でなもので、その場に立てないしんどさが見に染みて感じていますが、それは誰かを見下して解決するものではない。それは継続して述べ続けておかないと「易きに流れる」人も。

 一般市民向けの予算が削られる一方で誰が肥えているのか。例えば400“兆”円貯め込んでいる階層などは対象になりませんか。そこのところはひと睨みしておいて項を終わります。