つなげ“希”動力-人生記録員、伊東勉のページ。

17年9月移籍、社会活動中心の記事を記していきます。

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「野宿者」「生活保護受給者」への石礫・切り棄ての論議には「浮き輪」になることで対抗する。

 お晩でございます。今週からは通常モードに入って行きます。今日も案の定、通常の水曜日の仕事になりまして、今それを終えたところです。新年会なんかも多くなりますね。飲んだらハンドル握るな、は徹底でお願いします。万年ハンドルキーパーが言うのも難ですが。よろしくお付き合いください。

▽夕方に目にした野宿者の荷物処分報道。「逃げ場のない人間に対する容赦のなさ」をここでも見せつけられまして。ゲス上等の文句語る人には軽蔑の目線だけくれてやっとくとして、そこ以外でよーく聞く言葉が「だったら行政に頼らず支援者&報道社が助けろ以下略」。以下考察。

 そもそもとして、「助けろよああ」とか述べている方がどんなスタンスでこの問題見ているか言や

「自分は助けに行かない」

「忌む対象物が結果倒れても自分は傷つかない」

「だから容赦なく責め立てられる」

 面白くねえがな怒。

 別なところですが、安全保障問題で以下の記述を見ました。

「一国で対応しようとすると莫大な費用がかかるから、多国で賄う」、と。

 多様な取り方があるので賛否は保留しますが、これは社会保障でも当てはまるものがあるのでは、と。大変な状況におかれている人がいて、それを放っておけないと考える人もいる。しかし、個々人の財力で対応するには力が足りない。下手すれば共倒れ。それを補うのが社会保障、と考えます。ほんだから社会保障扱う公的部分に「対応を」というわけでしょう。

 社会保障はそういう形で動くものなのを知った上で「支援者か報道社が動けば」述べるのは何なのか。些か酷な言い方にしますが、要は黙らせたい、放っておきたい、問題を棄て置きたいからなのでしょう。個々人が棄てても公が棄てなきゃいいのですが、いまの政権は世の中に憎悪焚き付ける人に乗りやすい性格しているじゃないですか。相次ぐ社会保障切り棄ての助力にはなってしまってますよ。そうして追い込まれた者の自尊心を壊し、多数者の服従下に置こうとする行動には障るものありますね。

 神奈川新聞で掲載された「野宿者私物廃棄」を記載をして来ました。社会保障受給者のみならず、不可視化による揺るぐない状況の放置・放棄にもつながりますので、「他人見れば泥棒」視も大概にしてけでな述べて項を終わります。

生活保護の不正受給論じている場面見ましたが、生保受給認可のチェックは水際作戦や削減圧力もあり厳しく、捕捉率は2割程度とも。1%ほどある「不正受給」も「そんな細かいルール知らんわ」というので引っ掛かっているのが圧倒的多数。

 一方の人が「不正受給元凶論」のごり押しで論が止まっている所に、さらに別な人が「発覚した割合が1%以下。十分な調査が行われていないから発覚しない不正受給の割合は膨大」と混ぜ返しに。その言い方されたらもはや「受給者見たら泥棒と思え」と言われてるようなものですね。たしかに、ケースワーカーの不足は社会保障の情勢を鑑みれば問題ですが「他人見れば泥棒思え」と言わんばかりの論かまされるのは愉快と言えません。そういう状態に至る原因も見ずに誰彼構わず「はたらけーはたらけー」では立つ瀬もなくなります。

▽…キーワードサーチかけて物事の意見内容認識してもの書くスタンスは変わりませんが、他者へのリプライ、特に攻撃的なものについては止めています。どうにもキズばかり負ってしんどい。でもタイムラインが攻撃的にあふれ返る状況にあるなら、自分はその「浮き輪」でいなきゃなと。それは変わりなし。

▽タイムライン見ているとこういう文言目にするようになりました。

 「中立、中道、平等」。

…言葉単体は否定しませんが、その言葉の適用の仕方には違和感。強者の甘やかしと、非強者のしばきあげに使われているのが現状。「非強者を黙らせるためのお題目」にしか使っていない。そのお題目、他にも「ポジショントーク」なんてのもありますね。これも結果「自身を“中立”に置いて〜」でしょうが、馬鹿正直語れば「ポジション〜上等」です。

 個別的、個々人的に他者への攻撃は慎みますが、「多数で囲っての袋小路詰めて袋ただき」には与しないで居続けます。タイムラインお付き合いいただきありがとうございました。