私の人生は「所在地が底辺」であることを意識する所に存在しています。親が離婚し、生活保護の対象でありましたが、兄弟の進学、母の意地張り、私の自閉症もあり、生活保護を受給しなかったことで、家庭生活の面では塗炭の苦しみを味わいました。学校生活こそ充実したもので、これがあったからまだ生きていようという気力を維持できましたが、そうでなければただの木偶となっていたことでしょう。
自閉症の性格と併さって、その時その時を生きるので精一杯の人生を歩んで間もなく45年。歩んだ道には後悔ありませんが、それなりのしんどさは身に受けています。自分自身のことについては「まず生き抜く」ことを主体に考えるのである種達観していますが、自分のような状況になる方に対してのバッシングですか。それについては厳しい目線をむけ、キバを向けています。
何でか言ったら、どん底に陥ったら元に戻るのが途方もなく大変だからですよ。
つまづいている間に社会はどんどん進むし、それを手負いの心身持ちながら追いかけていかないとならない。ずっと傷無く走り続けても生きるのは簡単じゃないのに、途中でつまづきゃ尚更。そっから通常に戻すのには多くの労力が要る。それを補充し、マシに生きるために必要なのが社会保障と違いますか。
それを自己責任と放置し、むごい待遇でも生きていられればマシ、そうでなければ生存すらもままならない。棄てられる恐怖心で権力強者の意のままにしよう、それは仕方ないことだ、とする空気というか根性が目障りです。
いつまで人生歩めるかわかりませんが、この部分は意識し、これを放棄するときは私の死―生物学的に生きていても―。諦め悪く歩く、生き抜くことだけ述べて項を終わります。