つなげ“希”動力-人生記録員、伊東勉のページ。

17年9月移籍、社会活動中心の記事を記していきます。

つなげ“希”動力-人生記録員、伊東勉のページ

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「現状の難儀さを越える」行動をやめさせ、「現状への屈服」を要求する行為に与しない。

 障害者施設での「不妊手術」。施設理事長氏の「妊娠しようとするなら出ていけ」と併さり、解せない思いが渦巻いています。「自ら庇護を受ける人が、誰かを育てるのは大変だ」までは承知するので、彼らの言動には従わないがとりあえず保留にします。

 で、牙を向ける相手は、社会を回すために必要な建前と、自分以外の人権を忌み嫌い、問題提起をした方々に対しマウントをとる小市民様。「現実見ろ」から始まり、「わがまま言うな」「育てられない【具体的記述は控える】が〜」と続き、最後は「穀潰し」「俺たちが与えているリソース潰すな」と来る。いまはどこの位置をとってもしんどいのは間違いないでしょうが、ここまで罵声投げつけられるものですかね。

 特に、コメント欄のなかで「障害者だった親に育てられた」人に向けられた侮辱。当人の状況なりに重ねてきた歩みを否定したことに強い怒りを持った。こういうのが主流の社会では私のような存在は棄てられるものでしかない。そして、「棄ててしかるもの」に対して自ら手を下さず、自分から生存を諦めるように仕向ける。

 「現状の難儀さを越える取り組み」のなかで生きることができた人間としては、屈服させたり、あわよくば存在を奪おうとする輩にとことんウザがられ、嫌がられる存在でありたい。私が滅多打ちにあう間に打開策来たれ、以上です。

「加害者・同家族支援」について。

 「犯罪加害者・同家族の支援」を記した記事が出ましたが、どうにも評判がよろしくないようで。「加害行為しておいて助けてもらおうとはふざけんな」という思いからくるのでしょうが、それじゃ加害者・同家族はそのまま切り落とすか?どうにも頷くことができません。

 そりゃ、「被害家族・当事者は許すことができない」のは当然でしょう。だども、社会全部が放棄・放置するのはどうなのか。「被害者支援する人もいて、加害者支援する人もいる」のが適当じゃないですか。社会の中にいる人は皆平等に「被害者にも加害者にもなる可能性がある」以上は。それがあってこそ「加害行為に罰」。加害行為を許さない、というなら自分がしないこと、で解決図りなさいな。

 事故被害家族の方が、加害者・同家族支援を紹介した記事に関して見解を述べていました。「自分は自己の存在と敵対する事象に関してああは書けない」とだけ述べておきます。

12月15日、人生48周目に入りました。

 12月15日。なんとか47回目の誕生日を迎え、人生48周目に入ることができました。関わりのある皆様に厚くお礼を申し上げます。

 とは言ってもこの2ヶ月、本当にその日を迎えられるのかという不安でいっぱいでした。体は痛む、眠れはしない、散々でしたからね。気温の寒暖の差激しい時は痛み具合も睡眠の質も最悪で「このまま眠ってしまったらいなくなんじゃねえか」と思ったものでした。

 安倍政権以降の自民党政権が激しく市井の生活を傷つけたこの10年。保身だけは遅滞なく進め、対抗勢力を壊してきたため「自民党以外の政権」というのが見えなくなり、それをどうにかしようと行った市民&野党共闘は、反共攻撃の前に壊され一から組み立て直す事態に。今後の立て直しも見えづらいという状況にあります。

 運動体としてはともかく、自分の中でハッキリ言えるのは「自民党などの苛政を越えることを諦めない」、ただそれだけです。

 選挙結果に飽き足らず、「『今の多数者と違う考え方』は日本にあっていけない」という思考回路が世の中に充満しつつある状態。市民生活など向けた政策が縮められての悪い状況、その解決方法を「いま権力を持って苛政を実行している勢力に抗う」のでなく、「抗いたたかおうとする勢力をつぶす」ことに道を見出しているという現状が、本当に残念でなりません。

 激しく揺れ動く社会は実は自分たちの側の意識改革や変革も必要とされている―という場面をいくつか見聞きしています。ただし、それはそのまま「味噌もくそも一緒にして飲み込め」ではないはず。そんなんものには従わない。それは違うだろ、と。

 残念ながら、私は社会一般的な目線から言えば「蔑んで見られる部類」に位置し、一般的な会社就業はできず、知り合いから仕事をもらってかろうじて禄を食んでいる、というのが実際。「引け目」は感じていますが、「生産性のないやつは退場しろ」などという、今夏参院選後から熱くなっている「安楽死推進者」の言動は蹴り返す。

 正直社会活動の「やるべきこと」の中に「生存権を維持する」が入るとは思ってもみませんでした。T4作戦を行ったナチスドイツ社会を思わせるような空気も充満している。母親の逆ギレで出産にまで持ち込めた人間であり、同時にその母親を尊厳的に見送った経験もあるので「苦しみを長引かせないで休ませる」こと自体は有りと認識していますが、今の安楽死賛成者の思うがままのやり方にさせていけない。

 繰り返しますが、ただ「生きていたい」が、運動を起こさなければ維持できない状況になっていることに危機感を持ちながら、一方で改善・復元力を信じて行動し続けていきます。今後もおつきあいよろしくお願いします。

奥歯をくいしばる時。高須の行動、産経の米兵接触報道。

 少し前にひらがな四文字インフルエンサーが、基地反対運動を嘲笑する行為をしたが、今度は高須という整形外科医が同じ行為をした、と。

 もうひとつ、沖縄で米兵が迷子になり、基地反対運動者と接触したとかで産経新聞が大はしゃぎしていた。

 感想二つ。

 ひとつは「耐える」。もはや何をしても…言ってしまえば存在することすら潰しにかかっていて、しかもその手法は「下種上等」。挑発行為も活発になるでしょう。何とか、しのいでいきたい。

 ふたつ。米軍基地を民間から後援する勢力は、先に記した「下種上等」の性格を持った者。そういうのと10年近くもつきあえば“染まる”でしょ。

 プラスして。自衛隊だの米軍がいつも「味方」だとは思わないこと。それを動かす勢力の意向次第では汚れ仕事も請け負える箇所、ということを忘れないでいただきたいです。「米兵が発砲しなかった」ことを肯定的に語る人もいますが、そんなのは当たり前。「撃ち殺せ」語る者は問題外、と認識します。

何かを取り違えている「共産党改名論」。

 「共産党は暴力革命を棄ててない」閣議決定は、反共的なリアクションを起こすもの。それは右翼的なものだけでなく、“左翼”的方面からも起こっています。元朝日新聞記者氏が「共産党は党名を変えろ」とツイート。正直何十度となされたこのやりとり、平行線にしかならないのがわかっていて何故するのか。過去の「至らなかった」部分も含めた歴史も背負い、いまの資本主義を越えた共産主義をめざす意思を党名に込めて、施策や行動も「その性格」から出てきているもの。

 共産党という名前を棄てたら、いま共産党ができていることはできなくなる。イタリアの共産党見てみさい。一時は「政権にありつけた」人もいるかもしれませんが、最終的にはイタリア政治が「左翼勢力が存在しなくなる」状態、生みましたね。

 踏ん張るところ踏ん張らなければ、壊れるのは一気に来る。いまがその最中にいるのかもしれませんが、共産党の改名は「壊れる」のを加速さすだけ。ましてや「自身は責任負わないで他者に存在の根幹を明け渡す」ことを求めるのはご勘弁願います?その行為が「他者を都合のいいコマ扱いにする」ことのご認識を。

 

団体構成員の犯罪、即団体の犯罪ではない位は認識できませんか。神奈川のあおり運転加害に関し。

 一度、秋田道でトラックのあおり運転を食らったことがあります。何をしても一切速度を落とさず、圧雪道を突つかれること約20キロ。ジャンクション付近の車線拡大でようやく逃れましたが、あのときほど『殺される』と思ったことはありませんでした。なのであおり運転の怖さはある程度存じています。

 今年2月に神奈川の高速道であおり運転をしていた者が最近逮捕され、同姓同名のSNSプロフに共産党員であると記されていることから「犯行は共産党員が行った」→「だから共産党は犯罪者集団」という意見が飛びかっています。

 長野県で自民党県議が殺人事件を起こした件ありましたね。あの件に関して私は「個人の要件で起きたこと」と認識し、この件を自民党の苛政と絡める人には「違うだろ」と思ったものでした。長年の圧政苛政で激しい分断が起きて敵対する強度が増しているのは事実ですが、物事の分け方は考慮していただけないか、と。

 で、今回のあおり運転の件。「共産党は暴力革命を棄ててない」なる閣議決定の報道と一緒にこの件が出されました。事件を起こさせたのは共産党の路線や施策なのか?少なくてもそこから始まった事件ではない。「コンクリート殺人事件」もそうですが、明らかなパーソナル部分を持ってして「所属団体のせい」にするのは違うでしょ。近い人がそれで悔やむことはあれ、「構成員の犯罪」即「団体の犯罪」にするのは違う。

 ま、これを「叩く材料」にしたい方にしてみれば私の言葉なぞ些末な文字列でしかありませんし、叩きを頭に置く方にしてみれば「個人不祥事キャンペーン」はとりがちな手段。70年代の反共キャンペーンは軽犯罪法の過剰適用でなされたこともあります。

 上記に書いた道理何ざクソ食らえ、の「どす黒さ」はかなりなものになっているので、今後の「出方」は気をつけた方がいいです。以上述べて今項を終わります。

危害加えようと放火して侵入して…事実上の免罪―太刀川誠裁判。

 辻元清美議員の事務所に侵入し、コリア国際学園に放火し、両者ともに名簿を入手して広く危害を加えようとした太刀川誠の裁判。懲役3年も、執行猶予5年がつく事実上の免罪判決。

 「懲役刑はついた」かもしれないが、この場合はむしろ「執行猶予をつけさせるために懲役3年にした」だけの話。憎悪を持って他者を手にかけようとした輩が社会に居続けられるようにした判決に解せないものがあります。

 どちらかとの和解があった(おそらくは学園の方?)のが要因でしょうが、その厚意はムダになるでしょう。

 「危害行為に着手した輩が収監もされずにいることができる」のがわかった以上、この手の事件は続発する。地裁は間違った判決を下してくれました。犠牲によってこの判決の誤りが顕在化することがないよう願います。

不十分な「統一協会被害者救済法案」なるものに反対していけないですか。

 統一協会被害者救済法案が、自民、公明、維新、立憲、国民各党により骨抜きにされたまま衆院を通過させられてしまいました。共産党などは反対しましたが、「いまの多数派とは別のベクトルの思考回路」を根こそぎ潰したいと考える勢力が、取って付けたような理屈すらつけず、なぜ反対したかの理由を考慮もせず、「反対した」のみで罵声を浴びせてにかかっています。

 そこに後付けで「庶民の味方言いつつ反対した。所詮被害者は道具でしかない」などと「相手のダメージになればいい」だけの言葉を投げつける。道具に使っていたのはどちら様?ここにも「多数派にいなければ排除」という強い流れを感じます。

 別な箇所では共産党員だった人の犯罪行為をことさらに取り上げて「共産党は暴力政党」と詰る言説も。不祥事件を出したのは残念ですが、どう見ても個人的要因から発した事件であり、共産党の施策・方針ではないものを「党の性格」と位置づけて難癖にかかるのはいかがなものか。ま、「潰しにかかる」際にはこういう個人不祥事も殴るネタにする傾向もありますが。

 その気になればどんな行為でも「殴るネタ」にできる。普遍的に言えば「言いがかり」。本来ならそんなものは一蹴して打ち棄てるモノでしかありませんが、「望む結果が出るまでいびり倒す」手法で横紙破りをしにかかる。「原因あって行動し結果を得る」でなしに「結果がほしいから原因こさえて行動する」のは、似たように見えて全然違います。ここまで社会壊された中で、軽くない絶望感も持ちますが、一縷の望みを自分から切りたくないのでなんとかこらえます。おつきあいいただきましてありがとうございました。

年末進行には入り細かくは書けませんが、「苦しい」の反撃すら言わせない世相に怒りを表す。

 先週末から「袴田事件再審請求」「ハンセン病罹患者施設入所者に対する人体実験」に関する報道がありました。前者は見込み捜査から一人の人生を潰した案件ですし、後者は入所者を人間として見ずに、文字通り「使い捨ての道具」にした行為で許してはならない行為です。

 まずはこれを押さえてください。

 これらの報道に対して、ヤフコメなどSNS媒体で「昔の話」「弱者特権はうんざり」「税金をたかるのか」などという言葉が多く投げつけられるのが現状です。

 そう、クソみたいな現状。

 自己責任論が行き過ぎて、厳しくなった自身の現状を「やむ無し」とするばかりか、そこをやむ無しとせずに抵抗する人に「逆ラウナ、オマエモ折レロ」と石を投げつける行為を心から軽蔑するものです。

「師走で『しわーっす』」が蔓延る笑季節に、笑えない事象を語る。

 タイトルだけは少し柔らかめのものにしました。あっという間に今年もあと1ヶ月ですか。今年も結局「辛うじて一年生き延びました」しか得るものがなさそうですね。
 ここ4年、費用つぎこんで野球調査の起訴資料を得るために各地図書館を回っていましたが、来年以降東北以外は一旦終了となります。費用に難儀する、というのもありますが、「いつゲームセットになるかわからない」体なものでして、ある程度のまとめにも入らないとまずいのですよ。「早く終わってもらいたい」思う方もいると思いますが。
 社会活動。いま資料の整頓していますが、15年くらい前の「危機的状況」が霞んでしまうのがいまの状況。なんといっても、約30年前からの「正社員は一部、技能職は期限付、あとは使い捨て」の社会体系にしたことがキズになっています。長く厚く働き続けられる環境もなしに、最低賃金に貼りついたような待遇で労働力が吸い上げられる。
 社会全般に富を分けることもせずに、引力の強い富裕層が何もかも収奪する。
 収奪は富だけに限らず、自己肯定感までもぎ取られ、最近ようやく確立されてきたはずの生存権までもぎ取ろうとする。
 それを、善しとできないできませんでねえ。「生きてていい」すらダメだというのに、ものわかり良くしてたまるか。

 「生きていていい」すら折りに来る連中が蔓延る危険性は10年前から伝えられていたのに「まだ遠い」と思っていた俺はバカだった。参院選後に白石ピースケらが音頭をとり始めている各種SNS通じての浸透活動は、「反対派の意見は潰す=基本的人権生存権の排除」と結びついて、かつてナチスドイツで実現を許したようなやり口で「安楽死イイヨネ」を蔓延らせてくる。
 苦しい元凶と闘わず
 苦しい物事から逃れたくて生け贄を差し出しにかかっている。
 それを許したら、俺は殺される。
 「何言ってンダ 親の逆ギレで中絶不可能期間に突っ込んだから偶々生きていられるだけで本来ならオマエハゴミ」―いやあ、度々私の来歴は話していますが、こうこられるとは。とにかく、安楽死推進したいと思う方々に差し出す命はありませんし、「非生産物は殺せ」許したら、別な「〜〜を殺せ」も許してしまう。そんなもので、安楽死問題を始め「個々の尊厳を収奪する」輩とはケンカし続けることを改めて表明しておきます