タイトルだけは少し柔らかめのものにしました。あっという間に今年もあと1ヶ月ですか。今年も結局「辛うじて一年生き延びました」しか得るものがなさそうですね。
ここ4年、費用つぎこんで野球調査の起訴資料を得るために各地図書館を回っていましたが、来年以降東北以外は一旦終了となります。費用に難儀する、というのもありますが、「いつゲームセットになるかわからない」体なものでして、ある程度のまとめにも入らないとまずいのですよ。「早く終わってもらいたい」思う方もいると思いますが。
社会活動。いま資料の整頓していますが、15年くらい前の「危機的状況」が霞んでしまうのがいまの状況。なんといっても、約30年前からの「正社員は一部、技能職は期限付、あとは使い捨て」の社会体系にしたことがキズになっています。長く厚く働き続けられる環境もなしに、最低賃金に貼りついたような待遇で労働力が吸い上げられる。
社会全般に富を分けることもせずに、引力の強い富裕層が何もかも収奪する。
収奪は富だけに限らず、自己肯定感までもぎ取られ、最近ようやく確立されてきたはずの生存権までもぎ取ろうとする。
それを、善しとできないできませんでねえ。「生きてていい」すらダメだというのに、ものわかり良くしてたまるか。
「生きていていい」すら折りに来る連中が蔓延る危険性は10年前から伝えられていたのに「まだ遠い」と思っていた俺はバカだった。参院選後に白石ピースケらが音頭をとり始めている各種SNS通じての浸透活動は、「反対派の意見は潰す=基本的人権と生存権の排除」と結びついて、かつてナチスドイツで実現を許したようなやり口で「安楽死イイヨネ」を蔓延らせてくる。
苦しい元凶と闘わず
苦しい物事から逃れたくて生け贄を差し出しにかかっている。
それを許したら、俺は殺される。