1️⃣ 参院選で日本共産党が反ヘイト・差別との闘いを前面に押し立てたことについて論評が。
「ウケ良くヘイト側につこう」は問題外ですが
「もう少し“上手く”やれなかったか」にも頷けないものが。
あそこは「全力でかからなければ蔓延止めるきっかけも作れなかった」。
「もう少し角を立てず」 「~~というやり方もあった」
などとご意見ありましょうが
「石投げつけられる人を前に悠長語ってられたか!?」
がアンサーです。共産議席は減ったのは痛かったけどけどヘイトの可視化には結べた。
「他の要求もあったのに『ヘイト・差別だけ重視して』議席減らしてバカじゃないか」…も、言われて仕方ないが、じゃ見棄ててよかった、にはならないでしょう。一旦許したら延焼します。
悪意とそうでないのが混ざって切り分けるのも簡単ではありませんが、「誰かが誰かを切り落とす」行為の蔓延は、自身が切り落とされる距離を短くさせる事を認識いただく事を願うものです。
2️⃣ 共産党弁士の演題見ていると、ヘイト・差別問題に片寄ったわけでもなく、岩手県委員会の訴えでは「政党状況・共産党の存在意味」「中小企業支援込みの賃上げ」「財源込みの消費税減税策」「社会の中にあるヘイト・差別批判」「社会保障切り下げ」各々2~3分でまとめられています。けっして「偏重」にはなっていない。
3️⃣ 反共産党の位置にいる方が、特に今年に入ってから反差別の運動を「選挙活動を優先、プロテスト運動は利敵行為」と敵視しています。単に「反中央委員会」の私怨をぶつけているにしか過ぎませんが、それをこじらせた方々が「殴られる当事者」より「共産党の面目を潰す」方に力を入れ、ヘイターの考えすら肯定するに至りました。
かの勢力にとっては「攻めどころ」なのでしょう。そして、ここで反差別の旗を下ろしたら、返す刀で「共産党は反差別の旗を下ろした」と騒ぎ立てる。嫌いなやつを殴るためなら逆張り上等の思考回路に陥って『芯』忘れましたか、と聞きたくなります。
4️⃣ 今回はプロテスター・行動者に対する批判部分は扱いませんでした。「反共産党」の方々は「彼らを切れ」と言いますが、活発・かっ達に行動する彼らを切って、いままでの延長線上だけで社会切り開くこと、できますか?
いずれ、共産党など、いま反ヘイトを明らかにしている人が「最後のとりで」です。手法などに差異があったとしても、この部分だけのご認識はお願いします。
