
昨晩出した記事の続きです。
昨晩は「ヘイト・憎悪拡散と闘えなければ共産党に存在する意味はない」と記しました。「共産主義とヘイト行為って関係ねえんだ」とか「別にヘイト行為認めたって共産主義はできるだろ」っていう方もいますが、この活動は階級闘争の中で自分たち労働者とか生活者の解放を求めて戦うもので、ヘイト・憎悪拡散行為と闘うのもその一環でしょう。
ここであるツイートが突き刺さったんですね。文頭にも置きましたが「共産党は自分たちが攻撃されている場面では踏ん張ったが、自分たちより下がいると見れば平気で見捨てると見られてもいいのか」という趣旨です。
これには刺さったな。
共産党云々じゃなくて。
そういう風な位置に座らされる人というのはこれまでの歴史の中で出てきたし、出てきてしまうものかとは考えています。私自身は自分を一番下に置いてるから「自分より下がいる」と思ったことがありません─外道・ゲスがいる、は思ったことはある─が、人間の心はどこでどう移りゆくか分かりません。現に共産党に在籍していた人でも飲み込まれてしまう人もいるわけですし。
蕨・戸田地区委員会の発表に関しては賛否を保留し、実際に河合ゆうすけの行動にどう対処するかに関して注意して見届けることにします。
24日、埼玉会館で行われるはずだったクルド人コンサートが中止にさせられてしまいました。河合ゆうすけやら石井孝明が「実績を作った」と気勢をあげているようですが、こんな感じで日本に住んでいるクルド人の生きる権利が次々狭められてしまうことに危惧を覚えます。
ヘイトを拡散している連中はクルド人がなにかすれば、実際にそうかどうかに関わらず「犯罪行為」と難癖つけられている。人間の壊し方の一つで、自分が食らった攻撃として「該当者の行為全てを否定する」ってのがあるんです。それで私自殺未遂に追い込まれましたから。いまクルド人相手にそれをやってるのが石井とか河合ゆうすけといった憎悪拡散者です。
クルド人攻撃の先端は石井やら河合が行っていますが、それに後続が「そういうことをしていいのか」と続く層が…その意識はグラデーション式に違いはありますがいるわけです。そこのところを気をつけていかなきゃならないんじゃないんでしょうか。
今回の記述は2つエントリー分けて行いました。ここ数日資料整理で必要な用事以外は全部家にこもってましたから。アメリカ大統領・トランプのやってることにも「絶望」浮かびますが、たとえどんな強力な力で押し寄せられたって生きている人間が1人の人間として扱われる権利ってのは損なわれてはならないものでしょ。それを損なってしまったらゴミのように捨てられ殺されるんです。そこを考えると諦めるわけにはいかない。
「何言ってんだ お前は母親がキレなきゃ黒いビニール袋に捨てられて終わりだったんだよばーか」というように言われるんでしょうが、それはその通りですよ。だからこそなんですよ俺が気づいた「殺してもいいよ」と思わされる行為には徹底的に抗うことにします。
