10月中は一日1エントリ、という枠を外して記事を記します。
SNSが…特にX・Twitterの惨状は見ての通りです。ここで「敵と見なした勢力には“否定”のみ投げつければいい」という思考回路を身につけさせられた人は、以降実社会でもそのように振る舞って、ですか。
私なぞは左派の社会活動者のなかで下の下の下にいますが、それでも敵対者への批判は「そうすべき理由」を基にして行っております。
ところが、“壊しにかかる”方々はどーいう論理で批判にかかるか言や「そうすべき“存在”」を基にして成されている。逆張り、といえば分かりやすいでしょうか。
「~は~という理由があって批判の対象にしている」が、「~は存在そのものが批判の対象」となると、ぶっちゃけなにも考えず打ちつけられますからね。紙一重のようで大きな違いですよ。
たかがSNS、ではない。言葉というのは何がどーしたって「作用」引き起こすのだから甘くは見ず、過剰に攻撃に来るのであれば遮断することも必要になります。
つけたし。「SNSは虚実織り交ぜて存在するからなに書いたっていい」と述べ、ゴミをふっ散らかすかのようにデマを書くものがいますが「それは違う 見当違いも大概に」と申し述べておく次第です。
