1月17日。
阪神大震災が起きて29年目ですか。今年は能登半島地震があって、まさに自然の怖さを思い知らされたまっただ中で迎えました。
この阪神大震災以降、ボランティアの活発化、政治も動いて震災に公的補償を与えるなど震災対応の発展も見られましたが、一方で権威主義・全体主義的なものの考え方が跋扈し、前進が見られた箇所でもそのプラスが帳消しにされるような動きというのも見えます。
震災の節目節目の時に語りますが、私のとる「震災の敵討ち」は、『震災後起こる直接の被害を逃れた後にやってくる生活の苦難で生きる希望を断ち切られる行為を許さない』。それこそが…と思って走ってきました。
が、その実行は簡単ではないし、むしろ厳しくなってるのではないかというのが私の見立てです。後で別に原稿を起こしますが、断捨離よろしくあれもこれも“邪魔者”を消し去ってしまえば、“俺たち普通の人”は楽になるという思想が幅をきかせている様子に閉口しています。
そういう社会になってしまうと私なんぞ捨てられて仕方がないという立場に追いやられますし、何かを切り棄てた分社会から余白が消えていく。その余白のなさを誰が生み出しているのかというのも厳しく見ながら、先のスタンスで社会に対峙していきます。
===(罫線なくなりました泣)===
いま行われている日本共産党の党大会。報道では人事がどうとかいう部分で注目されていますが、いかなる目線で社会に働きかけ、どう取り組みを続けて行こうとしているかの方にもっと目線が向いてほしい。残念ながら会議の様子を新聞で追っかけるのがようやくですが注目します。おつきあいいただきましてありがとうございました。