「社会が私を棄てても自分は社会を棄てない」
…というのは最近の私の口癖です。きれいごとだけで言ってるんじゃなく、「社会にあるなんぼでもいいこと」を拾って、社会を恨む理由を少なくしたいという思いもあります。
一方で「自分のいる“多数派”を守るために、従わない勢力に対して四六始終憎悪をぶつけている」人がいます。昨日の記事では職業的という言葉を使いましたが、もう一つ、その対象を腐して除去の対象にすることを狙ってるものと思われます。「ああいう〜〜は殺しても構わない」という意志を持たせる、それがどんなに危険なことかを考え直しては見ませんか。