過日は温暖化を甘く見て北海道の農業に対して暴言を吐いた麻生太郎氏ですが、今度は岩手県に来て「岩手は日本のチベット」などという言い残していきました。怒る代わりに感想を述べましょうか。
1982年・昭和57年に東北新幹線ができる前までは、太平洋ベルトラインの発展に置いていかれたような状況でいた岩手県・東北地区。せっかくプロ野球球団(1974年ロッテオリオンズ)を招いてもいまの楽天イーグルスのようには定着できず、産業以上に大変だったのは生存権の問題。古くは冷害による娘売りや、三陸沿岸地区に常習的に来る津波、北海道もそうですが農作物を作っても例外で無に期すことも多かった。
人々の暮らしがある以上はまともに生きたいと願うのは当然。そこにどんな厳しい気候があるにせよ。私の住んでる箇所の近くに沢内村(いまの西和賀町)がありますが、乳児の死亡率がべらぼうに高かった(1957年死亡率69/1000)。何とかしようとした人たちが何に拠り所を求めたかといえば、日本国憲法にある生存権。
党派的な考え方は違えど日本国憲法にある生存権を軸に、その町に住む人が生きやすい社会をと行動し、医療費の無料化も何かの法律に触れると言われましたが「日本国憲法には触れない」と実行に努めた。その話も含めて気象的な難しさを越えて生活を維持し続けてきたのです。
こうして歯をくいしばって生きてきた岩手の人間に対して、嘲笑的に見下す意味合いをもって「岩手のチベット」なる言葉を麻生太郎氏は置いていった。侮蔑的に扱われては面白くないですよ。こんな発言を「麻生節」とか言って甘やかしていいわけじゃないんですよ。そして野党が嫌いだからとこの手の麻生氏の発言に喝采を送る方々は、ただ軽蔑する他ありません。
岩手の政治史は「気候環境の厳しさから命と暮らしを守る」闘いで紡がれてきました。公立病院の多さも広い県土のなかで暮らしに欠かせない医療を保障する取り組みの結果生まれたもの。「何があっても大丈夫だと言える社会こそ生きやすい」と市民・野党共闘の応援者が述べていましたが、ほんにその通りです。そーいう方向に社会向けさせるために、あと2日あまりできることはしていきましょ。