ここ2ヶ月、記事製作がそれまでにないローペースに。生活のパターンをどうしたらいいか模索していまして、ブログ記事を書く時間を安定してとれなくなってしまいました。ほんでも最近露呈した「菅首相による学術会議に対する介入」「杉田水脈による性犯罪被害者への憎悪書き立て」に危機感を持ち直しまして。しばらくはショートバージョンになろうが発信を多くします。
で、いささか気に障る行為を目にしまして。学術会議の一件は「赤狩り」「レッドパージ」を思わせるもので、そこから社会が一方的に壊される―大体は右派的権力者による市民抑圧―のを危惧する立場から特に厳しく異議申し立てをしていますが、逆にこの事態を喜び、もっとやれと囃し立てる人もいるのですね。
学術会議がこーいう形で委員を任命する意義は別な方が書くでしょうから割愛しますが、意見の賛否と別にこの態度には気に障るものがあります。「寄らば大樹の陰」なんて言葉もありますがそんな丁寧なものでなく、ただ多数派に寄りかかりなぶる側、攻撃できる側にいたい、と。どこかで「苛めることに快感を覚えた人は“中毒”になる」なんて記述を見ましたが、いずれ社会を壊す行為の荷担でしかありません。
「存在」「継続」って言葉を意識するようになりました。完全に消滅させられなければ、活路は見いだせる。そういう意味で「ある一時期の多数者」ごときに存在潰されたかない。意地はって頑張ります。
おつきあいいただきありがとうございました。