一昨日、昨日は厳しい日程、今日は所用して今記事を書いていますが、まあ参院の問責決議には驚かせていただきました。三原じゅん子氏の「野党の後始末している、安倍総理に感謝しろ」なるお言葉。社会の中にある一存在が盟主のように振る舞い、他者を踏みつける様には鶏冠に来るものがありました。
三原氏が芸能人の知名度のみを買われ、社会の中で揉まれてこなかった人、というのを鑑みても納得して飲み込める言論ではないです。三原氏の述べた「野党」は、それを支持したり、投票した人にも向けられるのですよ。で、なんですか「感謝しろ」と。ふざけるな、としか言い様がありません。
「イマハ安倍サンノヤリカタガべすとデ、多少ノイキスギハアッテイイ」と擁護する様子を何年も何回も見させられ、それが過ぎて今や「野党の反対が正しい!」に至っているのが現状。どんなに自身にひっかかる苛政も「野党の反対が〜+そうする意味がある」と飲み込む姿には「ああ、こうやって『日本のために命を投げ出せ』いう社会が作られたんだな」と思ったりもします。
ま、2回ほどですか。自民党でない政権を経験しましたが、一回目、二回目ともに自民党政権の基本「財界とアメリカ帝国主義」に抗いきれず壊された形になりました。受け皿があると政権失う、と考えたのでしょうか17年の総選挙時に野党勢力を壊してくれた。
一方で自民党が「財界&帝国主義鈍化路線」を進め、その自民党に抗うとすればその2題がもたらす市民労働者抑圧の政治変えないとわんない、という意識も維持することはできてるわけで、それが崩されるのが嫌だから「それしかない」と縛りつけにかかっているのでしょ。その「呪い」は解かにゃ、てことで、三原氏のような煽りに乗せず、地道に存在示し続けていきます。
おつきあいいただきありがとうございました。